星新一の大予言

 小学校高学年の頃、星新一にハマってよく読んでいた。友人の女子高生のお姉さんが愛読していて、背伸びしたのである。小学生にはよくわからない部分もあった(株がどうしたとか)が、概ねのところは楽しむことができた。中学に入る頃には文庫になっているものは全部読んでいた。

 彼の未来予測のエッセイで、印象に残っている部分がある。「テレビ電話が発明されるが普及しないだろう」などのうがったものの中に、「生存定年制が施行されるだろう」というものがあった。

 つまり、生きる年限が国家によって決定されているという、なんともディストピアなお話である。

 子供心に、「さすがにこれはないだろう」と思っていたのだが……

 

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 日経さんが代弁する上つ方の本音は、じんわりと「生存定年制」に重心を移しつつあるようだ。いわば、ソフト「生存定年制」である。

 

これまで私たちはGDPの10%を大きく超さぬよう不断の改革で膨張を抑えるよう求めてきた。 

 

 「私たち」、それはどこのどちらさんですかね?

 それはともかく、無駄を削減することはもちろん必要だが、日経さんの物言いでは、老人介護そのものが無駄とされそうな勢いである。

 

戦後ベビーブーム期に生まれた団塊の世代「1期生」が後期高齢者になるまでに5年しかない。安倍政権は制度の持続性を確かにする改革に早急に乗り出すべきだ。 

 

 団塊の世代を軽侮し、さらには若者たちに老人への憎悪を煽った目的は、このあたりにあったのかと思わせられる。

 遠回しに「団塊の世代にはとっとと死んでもらいましょう」と言っているわけである。

 私はその世代には当たらないが、余殃をかぶることになるだろうから、全くの他人事とは思われない。

 

 政権は19年10月に消費税率を10%に上げる。

 

 消費増税を断定している。日経さんがここでこう言うということは、すでに揺るがしがたい決定事項なのだ。「あべぴょんが辞めたら増税されるぞ」という寝言をちらほら見かけるが、もはや辞めようがどうしようが猶予はないのだ。

 

医療・介護費の膨張構造を温存したままでの増税は、穴が開いたバケツに水を注ぐに等しい。増税分を社会保障の充実に有効に使うためにも、まず給付抑制に主眼を置かねばならない。

 

 しかも、その増税分を福祉に使わないことも決定済みである。

 

政府は18年度に医療・介護の公定価格である診療報酬と介護報酬の増減率を同時に改定する。主に医療職の人件費に充てる診療報酬本体の改定率は、日本医師会を巻きこんでの大議論になろう。

 デフレが続き、賃金水準が全般に伸び悩んだこの十数年、報酬本体は上昇基調をたどっている。一段の引き上げの必要性は小さい。

 

 なんで「必要性は小さい」という結論に至るのか。論理が破綻しているが、そんなことは問題ではないのだろう。後半ではこのように語るからだ。

 

介護は重労働だ。それに見合う賃金の引き上げが課題だが、財源を介護報酬だけに頼るのは無理がある。解決策の一つは、利用者が自費でサービスを受けやすくすることだ。その前提として保険サービスと組み合わせる混合介護の使い勝手をよくする必要がある。

 

 要するに、「貧しい年寄りはさっさと死ね」というわけである。

 日経さんの目指すところは、ソフトな「生存定年制」なのだろう。

 ただし、上層部をのぞいて。

 

 高齢者などからの反発を恐れて医療・介護改革を先送りすれば制度がもたない。為政者は将来世代に責任を持ち、正面から切り込むべきである。 

 

 「生存定年制」について、星新一ショートショートを書いていたと思う。彼の作品は時に全体主義的なディストピアを肯定的に扱い、社会のあり方への疑問を投げかけるものが多く印象に残る。

 しかし、一番当たってはならないものが、最悪の形で(富裕層だけはその制度から逃れる形で)到来することについては、果たしてどのように考えたことだろうか。(こういうことは小松左京の領分か?) 

 

 

きまぐれ星のメモ (角川文庫 緑 303-2)

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