麻酔ではなく麻薬とならないか
>現在のユーロ圏の姿は、昨年10月に日銀が2度目の金融緩和を実施した日本の経済にも通じる。みずほ総合研究所の高田創チーフエコノミストは「量的緩和という劇薬で麻酔にかかった状態」と指摘する。麻酔とは、改革という手術をするための一時的な措置だ。
>いったん開腹して手術を始めたからには、病巣を切り取るなどの改革を素早く実行し、体を修復しなければならない。その手際が悪ければ生命が危なくなる。退路は断たれており、改革が急務であるとの認識を、執刀医である政治指導者は肝に銘じるべきだ。
なるほど。カンフルではなく、麻酔というのは比喩として的確だ。麻酔はそれだけで「治療」したことにはならない。かならずその後の「手術」が必要となる。
しかし、日本の執刀医は三歳児だ。まったく期待は出来ない。切らなくていいところを切り、さらなる悪化を招くことだろう。
麻酔に使用される「劇薬」はどのような性質を持つだろうか。
死に瀕する際の疼痛を和らげるモルヒネは、アヘンから精製される。それはよく知られるように、強い習慣性を持つ麻薬でもある。
手術が失敗すれば、さらなる麻薬を必要とすることになる。
二十一世紀において、資本主義そのものが「アヘン」と化しつつあるようにも見える。
なお、Wikipediaによれば、
とのことである。