自由からの逃走?
戸惑う日経さんである。
「自由」と一口に言ってもいろいろある。
freedomとliberty、積極的自由と消極的自由。
しかし、現実の社会における生々しい「自由」は、概ね他に不自由を押し付けることでなされる。
世の中が自由になることで不自由がなくなる、ということはない。
子供部屋の押入れのように、とりあえずどこか目につかないところに「不自由なもの」を詰め込んであるだけだ。
弁証法というやつは、現実にはほとんど役に立たない。
こういうことを自称リアリストの方々はよっっっくごぞんじのはずなんだが、なぜか彼らは「自由」貿易が大好きだ。
自分だけが「自由」で居られる、という希望を無根拠かつ無邪気に信じているからだろう。
そういう食い違いが、上の二つの社説によく表れている。
日経さんはTPPを神棚のお札のように崇め奉っているが、じゃあなんで現状のあべぴょんを同じように信仰できるのか。実際あべぴょんがアベノミクスでやってんのは、保護主義に近いと思うが。
まあ、信仰なんてのは論理でやるもんじゃないんだろうね。