自らの死を賭す時人は勇敢になるかもしれないが、他の人を殺す時は卑怯な小心者にしかならない。
籠池インタビューにぶつけて、いきなりのPKO撤退の発表であった。浮気したあと妻に高価なプレゼントをする夫みたいなものか。バレバレだが、それはそれとして貰えるものはもらっておこう、という気持ちにはなる。だからと言って許さんけどね。
なんだか日経の「日」が「産」に入れ替わったような社説だ。
援護射撃というのはこういう具合にするのだ、というお手本みたいなものか。
とはいえ、はるか遠い国での「戦争」に首を突っ込まされた自衛隊の諸君には同情を禁じ得ない、などと物分かりのいいことを書くつもりはない。そんなものは縁側で日向ぼっこしてる猫にでもやらせておけばいい。
自衛隊は世界に名高いSASに「研修」を受けさせているが、そこで何を主に学ぶかというと、いかにしてジュネーブなんちゃらに引っかからないように悪さをするか、たとえ引っかかったとしてもどのように逃れるか、ということである。
これは実際に「研修」に行ってきた男から聞いた話だ。
軍隊というものについて、普通の人々はハリウッド映画やらなんとか軍の劇画やら、妄想にまみれた戦記ものやらパソコンのゲームから得た印象がすべてである。
その中で「軍人」という人たちは、実に誠実で、正直で、かつまた勇敢である。
しかし現実に存在する「軍人」は、卑怯で卑劣でケチで小心、かてて加えて常習的な嘘つきである。
自衛隊とて例外ではない。田母神のようなのはまったく珍しくないどころか、もっとひどいのがゴロゴロしているのだ。
地震の時は天災が相手だったから良かったが、あのままのイメージで自衛隊に向き合えば、必ずや裏切られることになるだろう。
こうしたことは歴史的経験的に明らかであるからこそ、シビリアン・コントロールが絶対的に必要とされるのだ。
あの馬鹿げた安保法制とやらは、いずれ日本に災厄をもたらすことだろう。