頭痛

久々の更新だが、愚痴を垂れ流させていただく。

れーわ新撰組とかいう、売れないアイドルグループというか、ワンボックスカーの行商八百屋というか、そんな政党ができた。

党首は山本太郎という、曽野綾子の書いた小説の主人公と同じ名前である。ちなみに、その小説は『太郎物語』というタイトルで、曽野綾子の息子がモデルという、気持ち悪い設定だった。私が息子だったら絶対にグレている。

で、よりによって、その政党から知人が立候補するという。

メールで知らされた時は冗談だろうと思ったが、新聞を見たら冗談ではなかった。

協力を打診されたがやんわり断った。

山本太郎とかいうのが、いまいち信用できないからだ。

過去のバカな振る舞いに目を瞑るなら、今回の動きはまあまあましなようではある。

だが、どうにもあれを信用できない。

演説を何度か耳にしたが、目のあらいザルのように思えた。

参院選、どうするか考えると、頭痛がする。

 

(なお、このエントリーは選挙後に消去する予定である)

日本人は情報と労働はタダだと思っている

 

 その昔、山本某という偽ユダヤ人が、「日本人は水と安全はタダだと思っている」と煽ったが、水はとっくの昔にタダと思う人はいなくなり、安全についてもコストを支払うのが常識になった。

 かつて井戸水を生活に使用していた人間は少数派となり、さらに水道の民営化が可能になっても何が問題なのかピンとこない有様である。マンションはややこしい管理マンションが人気で、通路には一切死角が無いように監視カメラが設置されている。

 水も安全も社会を構成する基盤であり、それを「タダ」と考える通念は時代とともに失われたと言える。

 しかし、21世紀に至ってもなお、「タダで当然でしょ?」というポケットティッシュのように扱われる「基盤」が、まだまだ存在しているのだ。

 

 「情報」は、インターネットによって価値が暴落した最たるものだろう。

 有益な情報も、有害な情報も、一緒くたにまとめて陳列される。有益な方に少しでもお高いようであれば、大方の人間が有害な方になだれ落ちて行くようだ。スーパーのタイムセールに群がる連中と大して変わらない。

 インターネットがここまで広まる以前に、マーク・ポスターが『情報様式論』で、大衆は情報に金を払うのではなく、メディアに払っているのであり、情報そのものはタダだと思っている、と喝破していた。

 その傾向はネットの発達によって、より一層強まったと言える。

 

なんと26人当選...「NHKから国民を守る党」拡大遂げる おひざ元・渋谷区にも議員誕生

https://www.j-cast.com/2019/04/22355950.html

 

 ↑ なんともあきれ返った事態となっているが、投票した人間はこの政党がどのようなことを訴えているかについて、ほとんど関心を持ってはいないだろう。

 要するに、「NHKの受信料を払うのがイヤだ」というだけが、投票の動機なのである。

 マスメディアの役割などを知る前に、「NHKなんか見てない」などと頭の悪いことを言うのがその証拠である。

 こうした圧力に抗するためもあってか、NHKは政権に秋波を送り続けているが、受信料が存在するうちは反NHKな連中は減らないだろう。

 本多勝一が不払いを煽ったイデオロギッシュな論理とは違って、現在は「ネットがあるのに、なんでそんな安くない金を払わにゃならんの?」という低レベルな動機に突き動かされているだけだからだ。

 

経団連会長“終身雇用を続けるのは難しい”

http://www.news24.jp/articles/2019/04/19/06429964.html

早期退職しない限り面接が続き…「45歳以上クビ切り」横行中

 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190422-00010000-flash-peo

 日本人は「労働」をタダだと思っている。

 日本人が金を払うべきだと思っているのは、あくまで「仕事」であって「労働」ではない。

 だから、「仕事に行ってくる」と家を出る人はいても「労働に行ってくる」とは言わない。「肉体労働」という言葉はあっても「肉体仕事」とは言わない。「労働者」という呼び名はあるが、「仕事」をする人間には、「職人」「一人前」「正社員」「専門家」「アーティスト」などの名があてられ、一様ではない。

 だから、多くの人間が「労働運動」を嫌悪する。

 自分がしているのは「仕事」であって「労働」ではない、という自負が無意識に存在するからだ。

 では、「労働」を「仕事」へと昇華するものは何か。

 それは、「愛社精神」などに代表される帰属意識であり、その根本にある「労働」というものを侮蔑する意識である。

 つまり、「労働」という侮蔑すべき作業を無料で行うとき、日本人は「仕事」をしたかのような錯覚を得ることができるのだ。

 サービス残業というものが、なかなか消え去らないカラクリがここにある。

 残業しないで定時で帰れば「労働」だが、己の身を削って残業をこなしたとき、その「労働」は「仕事」となり、初めて負い目なく対価を受け取ることができるのである。

 日本企業はこの「錯覚」を利用して成長を遂げ、その限界が見え始めると、さらなる「錯覚」を上乗せして「労働」の価値を押し下げようとしている。

 そのわかりやすい例が、竹中某などに代表される新自由主義者の「みんな芸術家のように働けばいい」という論である。 

osaan.hatenadiary.jp

  その詭弁は、つまり「仕事」と見なせない「労働」は全部タダでいいじゃん、というものである。

 こうした思考は、今も「新しい」ものとしてもてはやす若者がいるが、実は昭和の頃からある古臭い価値観でしかないのだ。

 

 情報と労働はタダ、という意識が抜けきらないうちは、日本社会が袋小路から抜け出るのは難しいだろう。

 

情報様式論 (岩波現代文庫)

情報様式論 (岩波現代文庫)

 

 

上野千鶴子については以前から気に食わなかったわけだが

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

 

 上野千鶴子が東大の新入生に向けた「祝辞」が評判になっている。

 大したことを述べているわけではない。内容に問題があるわけでもない。レベルとしては、そこらのブログのエントリーと大して変わらない。

 では、なぜ、騒ぎになってしまうのか。

 それは、「東大」の新入生に向けた祝辞として、それがなされているからだ。

 この構図、どこかで見たことがある。

 

 天皇が万余の民草を前にして「お言葉」を述べる。

 大した内容ではなくとも、そこに民主主義や現行憲法への敬意が含まれていた場合、けっこうな「評判」となる。

 ちょっとした言動や行動の端々に、遠回しな現政権への嫌悪が窺われたなら、それもまた「評判」となる。

 だが、「天皇制」というものそのものは、民主主義の敵であり、現行憲法でその行動を抑制された存在であり、またそのシステムは現政権の寄って立つところである。

 しかし、天皇個人が「天皇制」に対して身をよじるかのような仕草をしてみせると、普段「天皇制」に懐疑的な人間までが天皇を寿ぎ、結果的に天皇制を補強してしまうようになる。

 

 上野千鶴子の祝辞はどうだろう。

 それがどこぞの雑誌に書きつけられたエッセイなら、何の問題もない。

 だが、「東大」での祝辞とあれば、話は別だ。

 祝辞の中で上野は、社会に今も根強く残る差別について述べ、「東大」の新入生たちに問題意識を持つように促している。

 新入生たちは戸惑ったことだろう。なぜなら、上野の語る「差別」の根源の一つは「東大」を頂点としたヒエラルキーにあり、新入生たちはそのヒエラルキーを受け入れ、勝ち抜くことでその場にいるからだ。

 とはいえ、新入生たちがそれをどう受け止めるか、についてはどうでもいい。

 それよりも、この祝辞が評判になることによって、逆説的に「東大」を頂点としたヒエラルキーが強固さを増してしまうこと、それが問題なのだ。

 上野が「東大」の根源部分を否定するかのような祝辞を述べ、それが世間で評判を得ることは、上野の祝辞の内容と真逆の効果をもたらし、むしろ「差別」を助長させてしまうだろう。

 上野はそのことについて、まったく気づいていないのだろうか。

 もし気づいていないなら、社会学者としての資質に大きく疑問符をつけたいところである。

 

 

天皇と東大 I 大日本帝国の誕生 (文春文庫)

天皇と東大 I 大日本帝国の誕生 (文春文庫)

 
天皇と東大 大日本帝国の生と死 上

天皇と東大 大日本帝国の生と死 上

 
天皇と東大 大日本帝国の生と死 下

天皇と東大 大日本帝国の生と死 下

 
天皇と東大 III 特攻と玉砕 (文春文庫)

天皇と東大 III 特攻と玉砕 (文春文庫)

 
天皇と東大 II 激突する右翼と左翼 (文春文庫)

天皇と東大 II 激突する右翼と左翼 (文春文庫)

 

 

 ついでなので述べておくと、上野千鶴子は「ニューライト」であり、その系譜は高群逸枝に連なるものである。

 私は彼女の言論に9割まで賛同しつつ、常に残りの1割に裏切られてきた感がある。

 

昭和をトリモロス欲望としての「令和」

 元号が新しくなったので、少しコメントを述べておく。

 「令和」だそうで、一部の人たちが懸念したようなことにはならなかった。

 しかし、「もう一度昭和になりそうだな」という戯言は、半分当たってしまった。

 漢字の字面では、「昭」と「令」の「刀」っぽい部分が共通している。

 読み方も、「りょうわ」という響きを裏に秘めている。

 それは、政権の抱える「トリモロス」怨願の現れというより、日本国民の無意識の欲望としての「昭和をトリモロス」の漏出というものかもしれない。

 

 ともあれ、国民のほとんどはこの決定を歓迎するだろう。

 それでいて、このどこか気恥ずかしい元号の使用頻度は減っていくだろう。

 

 ↓人名は「のりかず」と読むそうだ。

憲法

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円高で日本をトリモロスか?

 馬齢を重ねるにしたがって、届く賀状から嬉しさが減るものだ。ただのお付き合いや、頼みもしないし返事も出していないのに送りつけてくる、そんな類のものが増えるからだ。

 特に政治家、さらには自民党の議員からのものにはうんざりさせられる。

謹賀新年

無資源国の日本にとって原子力発電は国のかなめ

本年も引き続き再稼働を応援してまいります。

  てな具合である。

 一応は私信なのだから勝手に公開するのもどうかと思ったが、「公益性」を鑑み、名を伏せて引用させてもらうことにした。「かなめ」が平仮名なのは、人をなめてるのか。

 

www3.nhk.or.jp

ビジネス特集 行き詰まる日本の原発輸出 | NHKニュース

 

 上記の報道の通り、日本の原発輸出は総崩れである。

 Fukushima以降、安全対策に費用がかかるから、という解説で、他に見かける「ヒョーろんか」先生方の論もほぼ同じ分析である。

 で、政権からの「原発輸出はアベノミクスの成長戦略の柱」という、大仰なかましについては無視を決め込んでいる。そりゃ「柱」がぼっきり折れたら、どうしたもんだかわからないからねえ。

 実はここに、あべぴょんの経済理解が小学生並みだ、ということが現れている。みんなここに触れないのは、「バカっていう奴がバカ」という誹りを恐れているからだろうか。私は恐れないので、素直に「バーカ」というだけである。

 

 原発輸出を国家が強く後押しするようになったのは、鳩山政権の頃だ。みんな大好き自民党政権ではなく。

 鳩山は円高容認発言などもあり、「ミスター円高」などと呼ばれたこともあった。

 円高下における輸出企業の生き残り策として持ち上がってきたのが、プラント輸出である。プラント輸出とは、大規模な生産システムを丸ごと引き受けて建設することで、原発もそのカテゴリーに含まれている。

 規模がでかいだけに、初期の資金調達が重要となるので、むしろ円高の方が有利になるのだ。

 

 ところが、アベノミクスの金融緩和で急激な円安になった。

 日本の輸出企業は史上空前の利益をあげた、ということだが、同時にプラント輸出の方は非常にやりづらくなった。

 原発以外はやれてるとこもあるが、どこも大幅に事業を見直している。

 昨年、プラント輸出を促進する法案が可決した(共産党のみ反対)が、日立の件には間に合わなかった。というか、国交省の権限が拡大する法案なので、これからはプラント輸出について経産省の権限が狭められることもありうるだろう。確実に言えるのは、公明党の利権が拡大し、自民・公明の癒着が一層強固になった、ということだ。

 

 つまり、「原発輸出をアベノミクスの成長戦略の柱にする」などというのは全く矛盾した物言いで、いかにあべぴょんが経済を理解していないかという証左なのである。

 皮肉なことだが、円高のままであれば、東芝の「のれん代」も問題にならなかったし、ベトナムもトルコも、そしてイギリスも順調に原発輸出が進んでしまったであろうことを考えるなら、アベノミクス様様だと憫笑することもできる。

 

 だが、自民党は冒頭の賀状にも見られる通り、原発を全く諦めていない。

 年頭、原発輸出最後の砦だった日立の、経団連会長でもある中西はこのように述べた。

www.tokyo-np.co.jp

東京新聞:「原発 国民反対なら無理」 経団連会長、政権と同調姿勢転換:経済(TOKYO Web)

東日本大震災から八年がたとうとしているが東日本の原発は再稼働していない。国民が反対するものはつくれない。全員が反対するものをエネルギー業者や日立といったベンダー(設備納入業者)が無理につくることは民主国家ではない」と指摘。 

 

 それから舌の根も乾かぬうちに、180度発言を翻した。

www.nikkei.com

原発再稼働「どんどんやるべき」 経団連会長 :日本経済新聞

停止中の原子力発電所に関し「再稼働はどんどんやるべきだ」と述べた。「再生可能エネルギーだけでまかなえるとは思っていない」とも語った。

 

 この豹変ぶりについて、政権から圧力があったのは火を見るよりも明らかだが、ただの恫喝だけではこうも綺麗に手のひらを返せまい。

 何らかの「約束」が政権側からもたらされた、と考えるべきだろう。

 とにかく原発について、国家をあげて後押しする、と政権が約束したいうことだ。

 その内容がどんなものか詳らかではないが、数千億の損失など消し飛ぶレベルのものだろう。

 

 しかし原発輸出については、日本政府が少々ケツ持ちしたくらいじゃ追っつかないと、今回のイギリスの件でわかったはずである。

 ではどうするか。「出口戦略」などと言いつつ「新しい判断」で「円高を容認」したりするのだろうか。

 ありえない、と断言してやりたいところだが、とにかく相手は想像を絶するレベルの「バカ」なので、何をやらかすかわからない、というのが本当のところだ。

 

 

 

 ブログの方向性をどうするか、まだ定まってはいないが、とりあえず吐き出してみた。

さてどうしたものか

 この数年、日経さんの社説をネタにブログを書き綴ってきたが、どうやら日経さんが自分のデータをあれこれといじって、ついでに社説も登録しないと見られないように変えたらしい。

 登録といっても、以前のように見られるようにするには、結局どこかの時点で金を払う必要があるようだ。

 

 これはどの新聞でも言えることだが、「新聞の顔」とされる社説くらいは、ネットに無料で後悔するのが公器としてのあり方ではないのか。

 記者たちが雨にも負けず風にも負けず、便秘や抜け毛に悩まされながら書いた記事と違って、社説なんてものは、エアコンのきいた部屋でリプトンのティーバックを二ついれて濃いめにした紅茶をすすりながら、途中で奇声をあげて秘書にキモがられつつ書きとばしてるシロモノだろうに。(具体的なモデルはいません。絶対いません)

 

 このままブログを続けてもいいんだが、まるで日経さんのセールスを無料で手伝っているような格好になってしまうので、別な方向を模索中である。もちろん、日経さんが自省して旧に復するなら元に戻すつもりではある。

 

日本経済新聞は信用できるか

日本経済新聞は信用できるか

 

 

揺らいだままの日本経済新聞への信頼

www.nikkei.com

 日本経済新聞は、途中数度の中断を挟んで、足掛け30年購読していた。(親父も取っていたので、付き合いだけならもっと長い)

 「購読していた」と過去形になってしまうのは、ある時期に不信がつのってとるのをやめてしまったからだ。

 ある時期、というのは、日経さんが「戦後最長の景気拡大」と喧伝していた「いざなみ景気」の頃である。

 とにかく当時、日経さんは「景気がいい景気がいい」と騒いでいたが、あまりに実感とかけ離れていた。

 日経さんへの信頼は、その時から揺らいだままである。

 

 で、今度は厚労省の重要な統計がおかしかったという。

 ごまかしはかなり以前の、完全には重ならないが「いざなみ景気」の辺りから始まっている。

 日経さんへの不信感も、いくばくかはこの統計の不備がタネとなって醸成されたのかもしれない。

 

厚労省は昨年も、裁量労働制で働く人の労働時間調査の不備が表面化した。たがの緩みは深刻だ。自浄作用が働かなければ、重要統計の調査を総務省統計局に移管することも検討してはどうか。 

 

 ことが厚労省に関してであり、しかもあべぴょん政権よりずっと以前から、民主党政権をまたいでのことなので、日経さんも大安心で大雑把な提案をすることができる。

 しかし、そうした統計について、なんら疑いを持たなかった「経済」新聞というのはいかがなものか。

 「経済新聞」を名乗るからには、現実と乖離した数値に疑いを抱くことがあっていいし、そうしたことがカケラもできなかった自身への反省があって然るべきではないか。

 私がもう一度日本経済新聞を購読する日は、当分やってこないようだ。

 

統計学が最強の学問である

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