おイタがバレた幼児が「おイタはダメだよ!」と元気よく言うことでおイタをなかったことにする

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 ここにいたって、日本の歴史に巨大な汚点が残された。

 といっても、後世の人間がそれに対し鼻をつまむというものではなく、その愚かさに腹を抱えて笑い転げる類のものである。

 まったく正気とは思えないことが行われているわけだが、あべぴょんの姿を目にするとところかまわず尻振りダンスを始める日経さんには、正常化への着実な一歩に見えているようだ。

 史上最弱の独裁者によって生み出された新たな「寓話」について、国民はまるで2歳児の母のように愚かな役割を担わされている。

 「もうしちゃダメよ?」に「うん!」と元気よく答えて許されるのは、本来は幼児だけなのだが。

 

 

猫野係長(しりふりおやじ猫)れお(グレー)TAJ-004

猫野係長(しりふりおやじ猫)れお(グレー)TAJ-004

 

 

日経さんとその仲間たちのダブスタ

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 また日経さんのトランプ保護主義批判である。ともあれ、米経済は日本なんぞ歯牙にもかけず絶好調で、今度は中国相手にガチンコ勝負を挑むという。

 そこへパウエル殿が故障を申し立てたので、日経さんも尻馬に乗っかる形でやいのやいのとはやし立てている。

 

 それはともかく、日経さんとその仲間たちであるところの新自由主義の面々は、「関税」というものをまるでコウガイビルの群れのように嫌悪してやまない。

 であるにも関わらず、「消費税」については値上げを主張し、将来的にはさらなるアップも必要だ、と断言なさっている。

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 これはちょっとおかしいのではないか?

 

 というのは、消費税の元々の元は、17世紀イギリスで市民革命の際に導入された「品物税」である。(内国消費税という訳もあるが、現在は別の意味で使われてるので、 仮にこう呼んでおく)

 品物税は英語で excise duty という。

 dutyとは、通常「関税」の意味にで使用される。いわば取引にかけられる税金だ。

 tax は幅広い意味で「税金」であるが、ニュアンスとしては「貢納」に近い。今では duty free も tax free も同じ意味で街なかに表示されているし、消費税は consumption tax と呼ばれる。

 しかし、消費税の原型である品物税 excise duty という呼び名の方が、より消費税の本質をよく表しているように思う。

 

 日経さんとその仲間たちは、関税 duty がスムーズな経済の流れを阻害している、と主張する。

 では、消費税という duty はそのようなことはないのだろうか?

 アダム・スミスは、『国富論』第5篇において、消費に税をかけることを批判している。

 そちらは引用するには長すぎるので、グラスゴー大学における講義からのを掲げておこう。

 

The consumptions of people are not always according to what they possess, but in proportion to their liberality. When taxes are laid upon commodities, their prices must rise, the concurrence of tradesmen must be prevented, an artificial dearth occasioned, less industry excited, and a smaller quantity of goods produced.

 

(民衆の消費活動は財産の多さではなく、気っぷの良さによるものである。税金が日用品にまで及んでなんでも高くなれば、売買の駆け引きは抑えつけられ、買占めが常態となり、工業生産は振るわず、価値創造はしぼんでしまうだろう)(拙訳) 

 

 アダム・スミスは消費税が経済活動を阻害する、としている。

 そして、高額な関税が経済成長を阻害する、と日経さん&お友達の面々は仰っている。

 では、高額な消費税は経済を阻害しないとでもいうのだろうか?

 ここにむき出しになっているダブスタは、日経さんの口にする「自由」が、ごく一部の恥知らずのためのものであって、普遍的なものではないことを表している。

 

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  結局日経さんとそのお仲間たちが好む「グローバリズム」とは、格差の恒常的な拡大とその固定化が目的なのである。

 それを「貧困撲滅のため」などとするのは、詐話の類と呼んでいいだろう。

 

 

グラスゴウ大学講義

グラスゴウ大学講義

 

 

持続されたりしたら嫌な「目標」

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 日経さん定番の一次産業叩きである。

 「持続可能な開発目標(SDGs)」ということだが、安倍水害のあとで農業にそれを求めるのは間が悪いと考えたのだろう、主な焦点は漁業に絞られている。

 ニホンウナギの件もあるし、確かに漁業については長期的視野が必要である。

 では、それをなすにはどのような方策が必要か、といえば、やはり日経さんが大大大大嫌いな「補助金」で漁業を助けるしかないだろう。

 「企業は努力してる。補助金漬けの農漁業は努力していない」というのが年来の日経さんの主張であるが、その企業とやらの「努力」は金融緩和という「ベビーウォーカー」によって支えられたもので、とてもじゃないが自分の「あんよ」で「お上手」できたものとは言い難い。

 

 企業も調達先の農漁業者に意識改革を促していくべきだ。三菱商事が14年に買収したノルウェーの養殖大手セルマックは、SDGsの評価機関から海の豊かさを守るモデル企業に選定されている。こうした企業のノウハウを国内産地に広める工夫も求められる。 

 

 日経さんは日本の農漁業を「企業化」したいわけで、最後にこうした成功例を持ち出してそれを促している。

 三菱のセルマックの事例は、つい先年まで赤字を垂れ流しており、別々に買収していたチリの養殖事業と合わせてようやく黒字転換にこぎつけたに過ぎない。

 界隈では成功例として持ち上げる風があるが、ロシア情勢によってはどう転ぶかわからないし、ちょっと気になる話も流れている。

 それから、丸紅が穀物メジャーであるガビロンを買収し、泥沼に足を突っ込んだ状態になってるわけだが、そっちの方は無視なのか。

 丸紅分裂の危機(何度目だ、とは思うが)などと囁かれているが、日経さんは読者がとんでもない「情弱」だとなめているのか。

 

 人権問題を重視する国連は、SDGsでもさまざまな課題を設けている。外国人労働者が増える日本の農漁業でも、人権への配慮は大きな課題だ。

 外国人労働者への賃金不払いや過重労働などの不当な扱いは、移住労働者の権利保護、格差是正など、SDGsが定める複数の課題に逆行する人権侵害だ。

 

 そして、日経さんはこうした労働問題について、一次産業だけのものだとでも言いたいようだ。

 高プロ裁量労働に諸手を挙げて賛成しておいて、まったくどの口が申しますことやら。

 こうしたことは確かに問題ではあるが、「問題だ問題だ」と騒ぐだけなのは、もう一方で似たような「問題」を「目標」として掲げてしまっているからなのだろう。

 

 日経さんの掲げる「目標」は、さっぱり「持続可能」のように思われないし、下手に持続したらそこら中で不協和音が鳴り響くようなシロモノなのである。

 

 

 

 

日経さん、また社説のタイトルを入れ忘れる

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 日経さんが「また」社説のタイトルを入れ忘れている。

 前にやったときは、一日経ってからそっとタイトルを入れていた。

 何だろう、ウォルマートが西友を手放す、と飛ばしたら頭ごなしに否定されたからだろうか。後追いした各社も恥ずかしかったが。

 

 しかし、この監査開示の件は、数多の企業の頭痛の種である。「東芝さえちゃんとしててくれたら」と恨み言の一つも言いたくなるあろう。

 

監査法人がどこに監査上のリスクがあるとみたのか、プロセスを透明にするのが見直しの柱だ。虚偽表示のリスクの高いものや見積もりの要素が大きいものなど、特に注意した事項を監査報告書に盛り込む。企業買収で生じる「のれん」や、資産の減損評価などが対象になりやすいとみられる。 

 

 あー、そういや日経さん、FT買収した後の「のれん」はどんな具合ですかな。

 意地でも「問題ない」てことにするんだろうけど。

 

 

 

追記

やっぱり、あとでこっそり直していた。

 

 

日経さんは消費税がお好き

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 またなんか言ってるわけだが。

 どうせ「ばらまき」とか言っても大したことはしやしない。一生懸命やってるフリをするだけだ。日経さんもわかってて批判するフリをしているのだろう。

 

駆け込み消費とその後の反動減による景気悪化がある。 

 

 好調な企業業績を背景に2017年度決算の一般会計税収は前年度比3.3兆円増の58.8兆円に回復した。 

 

 消費はどんどん下がっているが、企業業績は絶好調と。

 じゃあ、なんで企業の方を増税しないのか。

 日経さんのレゾンデートルに関わることなのでおかしなことしか言えない、ということであれば、日経さんの存在自体がおかしいということだ。

 

 西日本を襲った記録的豪雨の被災者支援のため、政府は10日、18年度予算の予備費を使用する方針を決めた。災害復旧や防災対策など真に必要な歳出をしっかり手当てするのは当然だ。そのためにも非効率な歳出は抑えるべきだ。 

 

 非効率的な歳出とは何か。日経さんは具体例を上げないが、そりゃもちろん防衛予算だわな。

 子供がカードのコレクションでもするように、ガンガン不急不要な兵器を買うのは「非効率」じゃないのかね。

 

 

ハゲタカのえじき (Hol's der Geier) 日本語版 カードゲーム

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我無き後に(外遊に出てから)洪水よ来たれ、と願っていたかもしれないが

 

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 「我亡き後に洪水よ来たれ」と言って死んだのは、お腹の弱いルイ15世だったとされている。

 お腹が弱いはずなのに、二日酔いするほど酒を飲む首相は、まだ生きてその座にあるうちに洪水が来た。

 

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 日経さんは豪雨についてあれこれと書いているが、あべぴょんとその一党が酒盛りをしていた件については、一言も触れていない。

 

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自民幹部、5日夜の飲み会を釈明 西日本で大雨さなか - 共同通信

 

 いったい何を言祝いでの宴だったのか。

 オウムを処分することでモリカケの話題を葬った、と安堵したのか。

 外遊先で自衛隊を閲兵し、司令官として敬礼する自分に兵たちが敬礼で応える様を思い浮かべ、嬉しさのあまり祝う衝動を抑えきれなかったのか。

 

 外遊をやめたからといって死んだ人が生き返るわけではなし、また被災地をちょろちょろして面倒をかけるばかりだろう。

 それでも「保守」たちは必死であべぴょんを擁護するし、日経さんもご覧の通りの有様である。

 「平成30年7月豪雨」とは地味で記憶に残りづらいネーミングだ。いっそ「安倍洪水」とでも呼んでやればいい。

 その方が、後々に平成の歴史を思い返すとき、生々しく記憶が立ち上がってくるし、あべぴょんも歴史に名を残せてご満悦になることだろう。

 

 

 

 

クーデターに成功したオウムとしての「自民党」

 ちょいと前に、壊れた拡声器のような財務大臣が「新聞を読まない若者は自民支持」とのたまっていた。

 

麻生氏「新聞読まぬ世代は自民」 昨秋の衆院選に関し - 共同通信

 

 新聞などというオールドメディアをあがめる「情弱」どもと違って、若者たちはインターネットから正しい情報を得て、正しい選択として自民党を支持するのだ、とでも言いたいのだろう。自民党支持者たちも、そのように受け取ったはずだ。

 

 その「新聞読まぬ世代」の代表と思しき存在に、植松聖というのがいる。

 植松は、ほぼ無抵抗の障害者19名を殺害した。

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 そして、自民党を、なかでも「安倍晋三」を崇拝していた。植松は犯行の前に、以下のような内容を含む手紙を書いている。

 

>ご決断頂ければいつでも作戦を実行致します。

>日本国と世界平和のために、何卒よろしくお願い致します。

>想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三にご相談頂けることを切に願っております。

 

 「カルト」というのは、解消しづらいストレスを抱えた人間が、かりそめのストレス解消を求めてひきずり込まれる。

 そうした場合、カルトは外界の情報をできるだけ遮断する。

 外の情報はせっかくの「ストレス解消」を邪魔するからだ。

 なかでも「新聞」などは、真っ先に否定される。

 インターネットが完備した現代においては、信者たちが勝手に自分に都合の良い情報を求めて「自己洗脳」してくれるので、とてもやりやすいだろう。

 崇拝する対象が政権与党であれば、それはなおさら悪化する。

 明確な指示などなくとも、勝手にその「教え」に従い、弱者を殺戮して恥じぬようになる。植松は今も、あべぴょんから救いの手がもたらされるのを、じっと待っていることだろう。

 

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 かつてクーデターを起こそうとしたカルト集団があり、その主な面々が死刑となった。

 日経さんは通り一遍の無難な社説を書いたつもりだろうが、現在の自民党の持つ危うさが、そこここに現れている。

 それは日経さんがあべぴょんを「信じている」ことの危うさが、自然と漏出してしまった結果なのだろう。

 

バブル経済とその崩壊や急速に進む国際化の中で、それまでの価値観や人生のモデルが揺らぎ、教団が唯一のよりどころに見えたのかもしれない。だが教団は国家の転覆を目指し暴走する。 

 

 日経さんにとって、唯一のよりどころのあべぴょんは、近代国家としての日本を転覆させ、大日本帝国をトリモロさんと暴走している。

 

「オウム」が終わっていないことは、教団の後を継ぐ団体に、いまも新たな信者が入信していることが証明している。街角や大学やインターネットの世界から、若者を狙うカルト的な集団が姿を消したわけでもない。 

 

 新聞を読まない「若者」から「カルト的に」支持されるのが、現在の自民党である。

 

 「孤立感」「現状への不満」「極端、過激な思想の流布」といった、若者たちをオウムの闇に落とし込んだ状況はむしろ強まっている。

 

 強まっているからこそ、オウムの闇に似たものを若者たちは求め、その対象が現政権となっている。

 

松本元代表らの死刑執行を受け、社会のありようを改めて見つめ直していきたい。

 

 以前にも少し書いたが、私は死刑に対して限定的に賛成している。

 

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さて、実は私は死刑を否定してはいない。

 ただ、死刑という刑罰に値するのは権力者のみ、と考えているだけである。もっと言うなら、国家の最高責任者こそがそれに値する。

 

 麻原彰晃こと松本智津夫は、クーデターの首謀者であり、教団において明白な「権力者」である。

 権力者というものは、自分の手を汚さずに殺人を実行することができる。

 私はそうした人間に対しては死刑という刑罰が相当である、と考える。

 ゆえに、オウムの事件においては、麻原のみ死刑にするのが良い、という立場をとる。

 そしてもちろん、その考えは現在の政治家たちにも当てはまる。

 

面白いのは、死刑を肯定する愛国者にこの考えを披瀝すると、とたんに死刑否定論めいたことを口にし出すいうことだ。愛国者が愛しているのは、「国」ではなく「権力(者)」だということがよくわかる。 

 

 オウムの死刑にカタルシスよりも薄暗いものが感じられるのは、そこに生々しい「権力」はらわたの臭いを嗅ぎとれるからだろう。