「批判は絶対しないでください」とされる状況とは

 「リーマン・ショックでの経済対策を上回る、かつてない規模の対策をとりまとめる!」

 とぶち上げておいて、「マスク2枚!」でドヤ顔とか、吉本新喜劇のずっこけネタのようだった。

 多くの国民はウケるどころかブーイングの嵐だが、政府いたって真面目にこれをおっしゃったらしく、何やら「真意を汲み取ってくれ」風のサムいツイートが垂れ流されたりしている。

togetter.com 小泉信じろ、いや進次郎のポエムもかくや、という出来栄えだが、このような幼児めいた言い訳でも、信者たちにはありがたい御託宣に聞こえるようだ。

 だが問題があるのは、マスク2枚云々よりも、ここに湧き出ている「一生懸命やってる人を批判するな」という、ものすごくきもちわるい主張の方である。

 これよりも端的な例がこちらである。

 

 

 こんなただの似顔絵にも、「一生懸命やってる政府を批判するなんて」といったカラーのツイートが殺到した。

 「一生懸命でんでん」には「勤勉なバカほど恐るべきものはない」というゲーテの名言(オリジナルはもっと遠回しだが)をあてて、インテリっぽく下に見るのも一つの手段だが、ここにはそれ以上に深刻な問題が横たわっている。

 

 そもそも何事かを一生懸命やってれば何かしら批判を受けるものだし、その覚悟なしに「一生懸命」などにはならないことは、普通の社会人なら呼吸するようにして身につけている常識だろう。

 では、絶対に批判してはならない「一生懸命」とは、どのような人によってなされるものなのか。それは次の三つである。

 

・幼児

・ひきこもり

認知症

 

 幼児については、怪我をしたりさせたりしない限り、叱らないことが主流になっている。

 ひきこもりはどうか。彼らは決して怠けているのではない。全身全霊をもって全力でひきこもっているのである。彼らにとってそれは、他から決して批判されたくない「努力」である。

 認知症については、ケアする人たちの基本的な留意事項として、「絶対否定しない」ということが挙げられている。余計に病状が悪化してしまうからだ。

 

 「一生懸命やってる人を批判してはならない」という文言のきもちわるさは、こういうところからやってくる。

 日本を代表する政権が、幼児やひきこもりや認知症のようであってはならないはずだが、「消去法で自民を選択する」ような中立中道の方々は、そのようにすることこそが絶対に正しいとお考えのようだ。

 このような政権擁護は、政権の「病状」を悪化させることはあっても、快方に向かわせることはない。

 Covid-19はいずれなんらかの形に落ち着くのだろうが、こちらの病がそのままなら、日本は最悪をさらに上回る事態となるだろう。

 

 なお、このエントリーが、「幼児」はともかく、「ひきこもり」「認知症」を「バカにしている」と受け取る人には、前もって謝罪しておこう。

 「誤解を与えたのであれば申し訳ない」