すでに「勅語」は乱発されている

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 教育勅語と聞くと思い出すのが、『気分はもう戦争』という漫画だ。原作矢作俊彦、絵は大友克洋だった。

 その中のエピソードで、主人公(?)が中国人に「お前さんが日本人だというなら、教育勅語を言ってみてくれんか」と問われて「きょういくちょくごぉ!?」と眼をむいていた。問われた男は一応「右翼」という設定である。

 まあ実際、現代じゃ右翼だってそうそう憶えてやしないし、現総理だって言えやしないだろう。井上ひさしは憶えてたそうだが。

 

勅語は部分ではなく全体の効力を失ったと解すべきだ。道徳の教典として復活させてはいけない。 

 

 実際その通りだが、自民党議員の過半はそれを「道徳」ではなく、国民すべてが守るべき不磨の教典として復活させようとしている。

 あの馬鹿げた教育勅語暗唱の動画の不気味さから、それを「教育」の問題としてだけ語るのは、問題意識が足らない。

 あべぴょんの自民党が復活させようとしているのは、「勅語」の精神である。

 それは民主的な決定すらも、お上からの一言でひっくり返して、それを絶対とする精神だ。

 すでにその精神は連発される「閣議決定」の扱いに見て取れる。

 

 ただ閣議でそう決まったよ、という程度のことが、まるで重大な法律のように「忖度」を受けて活用されている。トランプの大統領令ですら司法からの拒絶を受けるのに、あべぴょんの「閣議決定」はまるでそのあり方が「勅語」であるかのようにメディアに流通している。

 それは民主的な過程を経ずとも、決定さえすればいかなる異論も許さぬ絶対的な決定であるかのように語られる。

 文科相の発言に「違和感を覚える」という生ぬるい認識の日経さんも、「十分な」審議やら説明やらを勝手に垂れ流せば政府の思い通りにしても構わない、という提言によってその流れを追認しているのだ。

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気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

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テロの真打が登場

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 失敗続きの北朝鮮のミサイルに対し、「こうやって射つんだ」とでも言わんばかりである。

 

 世界をどういう方向に導こうとしているのか。米トランプ政権のシリア攻撃からは包括的な戦略が見えてこない。 

 

 戦略など「ない」だろう。こういうのは考えた方が負けである。

 相手はこちらの予想をはるかに上回るほどの考えなしなのだ。身近にあべぴょんというモデルがいるのだから、とっくに了解していそうなものだが。

 まあしかし、それでもロシアに極秘で「ナシ」を通すくらいはしているとは思う…んだがそれもどうだろう。

 あべぴょんが日本から9条という枷を取り外し、やりたいのはトランプと同じような事である。今のところトランプよりあべぴょんの方が多少節度があるように見えるのは、現行憲法がまだ改悪されていないからだ。

 

 ことの発端はシリアが化学兵器をぶちまけたことである。

 アサドにどんな言い分があるか知らないが、これは紛れもなくテロである。

 テロとは非政治的な暴力組織によってだけでなく、国連に加盟しているような「国家」によってもなされるのだ。

 それは狂気を帯びた暴力によって、民衆の平和への歴史的希求を切り裂く行為だ。

 そして報復としてなされたアメリカによるミサイル攻撃も、そうした点においては同じ次元にある。

 アメリカの攻撃もまた、まったくのテロ行為だと言える。

 テロに対してテロで報い、テロを拡大再生産するアメリカは、紛れもなく世界最恐のテロ国家だと断言できる。

 かつてカミカゼという純粋なテロ行為をなした大日本帝国を讃仰する現政権が、アメリカのテロを「支持」するのは当然だろう。

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 このようなテロを積極的に肯定しながら、テロを予防するために「共謀罪」を作ろうなどとは、まったく片腹痛い。

 自民党が本気でテロのことなど考えていないことが、こうした点からも丸見えである。

 それとも共謀罪駐留米軍を取り締まり、日本から追い出したりするのだろうか?

 日本政府が「共謀罪」でなそうとしているのは、テロに対してテロで報いるその手法にのっとり、国民にテロをなすことだと言える。

 つまりは、日本国民こそが日本政府に対する最大のテロ予備軍だと定め、民主主義などという反政府思想によって政府を批判し、選挙で反乱を企てるなどということはテロと同じだ、というわけだ。

 オリンピックだの海外とのテロ取締りの連携などというのは、ただの取り繕いにすぎない。でなければ、あんなバカな法律を通そうとはしないだろう。

 

 

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教育勅語で全て解決、と政権は考えているのだろう

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 J.S.ミルは結婚して子供を作らないことが一番効率的だとした。

 子供を育て、教育することは、費用対効果を考えればなすべきことではないからだ。

 そうしたことは以前エントリーに書いた。

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 これまで日本は、貧乏人の子沢山によって経済が、いや国家そのものが成長してきた。

 それは、「人間」そのものを使い潰すことを「是」とする思想によって成り立ってきた。

 資源のないこの国において、「人間」こそが資源だからだ。

 戦時中赤紙1枚で命を捨てさせられたことと、現代の過労死やブラック企業の存在は、日本おける国家のための「思想」によって通底している。そのことも以前エントリーにした。

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 自民党が、いや、あべぴょんが考える国家有為の人材とは、「お国のために命を投げ出す」人間のことだ。

 未来に向けた人的資本などは眼中にない。「死ね」と言われれば「はい」と応えて素直に死んでゆく、そういう「人材」ばかりになれば日本は救われる、と本気で考えているのだろう。

 でなければ、教育勅語など復活させるわけがない。

 

ただ、日本には教育費を大盤振る舞いできるほどの財政的なゆとりはない。政府・与党は費用対効果の高い教育・人材投資の方策と、安定財源の確保策をセットで検討してほしい。 

 

 日経さんの憂慮は杞憂に終わる、とあべぴょんは考えているはずだ。

 「教育勅語を否定しない」と言えば、その意を汲んだ多くの学校が「忖度」を働かせて教育勅語を次々に導入するはずだからだ。

 教育勅語のキモは、親孝行でも夫婦仲良くでもなく、国のために命を捨てることにある。明示されなくとも、その意図は「忖度」されるようになっている。

 そうして日本人のほとんどが、貧しくとも文句を言わず粛々と死に赴く人間になった時、日本は政治家が経済成長などまったく考えなくてもすむユートピアとなるわけである。

 

 

 

愛のうた?ピクミンのテーマ

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北朝鮮がんばれ的なあべ政権

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 とまあ、日経さんがお書きになっているわけだが、現時点であべぴょん政権の命綱が北朝鮮のミサイルにある、ということが非常によくわかる。

 

 今現在森友関連の事件において、政権が被った一番の痛手は稲田ともみんの評価がガタ落ちしたことだろう。

 かろうじて辞任はしていないものの、このままなら首相後継候補などと言えば一笑に付されてしまうのは間違いない。

 そんな時に、北朝鮮からなにやら「飛翔体」が日本海に落っこちてる訳で、あべぴょんとしてはこれをテコにしてなんとかともみんの評判を回復させたい、と考えているはずだ。

 わかりやすい田舎芝居を打って、

 「やっぱり稲田さんはすごい」「顧問弁護士がどうしたとかは些細な問題だった」「稲田さんがんばれ稲田さんがんばれ」

 的な流れを作り出したいところだ。

 

 再三書いているが、あべぴょんと金正恩は「敵対的共犯関係」にある。

 お互いに無くてはならない存在なのだ。

 北の政権を弱体化させたいのなら、まず日本で政権交代させるのが一番効果的だ。

 そして新政権が親中的な外交を展開すれば、北の政権などたちまちのうちにしぼんでしまうだろう。

 

 

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果たしてあべぴょんは教育勅語を憶えているだろうか?でんでん

 日経さんが、びびった座敷犬みたいにあらぬ方向を向いてワンワン吠えるものだから、社説についてさっぱり書く気になれなかった。

 いつまで続くんだ、この状況。

 ワンワン吠える声に少しは内容がともなっていればいいが、ほとんど以前書いたことの劣化版である。

 きっと、政府だけでなく財務省もまずい感じになりそうなんで、必死で注意をそらそうとしているのだろう。なかなかの忠犬ぶりといえよう。

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 ↑これなんか、保護主義で経済が悪化するとかいう、いつものご託宣はどうしたんだ?という感じで、すっかすかの内容だ。

 

 ところで、昨今の日本を一匹のゾンビが徘徊しているようだ。

 「忖度」という名のゾンビである。

 ほとんど死語になっていたはずなのに、どこからか特殊な電磁波でも降り注いだのか、またぞろ地上をうろつきだした。

 急激な増殖ぶりに、sontakuがO.E.D.に載りそうな勢いである。

 しかし、どうも「忖度」について、まだまだ人々の認識は甘いように思える。

 欧米人なんかはどのように把握しているだろうか。

 B級映画でマフィアのドンなんかが、

 「あいつが交通事故にでもあってくれりゃあいいんだが」

 と口にすると、それを聞いていた手下が「あいつ」を轢き逃げする、みたいなパターンだろうか。まあこれはこれで、トップの人間を「責任」から守るという、「組織」の下劣さがよく表れている。

 日本人なんかはとにかく、「命令される前に動く」なんてことは有能な社員の条件だったりするので、「忖度の何が悪いのか」となったりするだろう。中には美談のようにして語られたりしていることもある。

 下の人間の忠誠心の純粋な発露としての「忖度」ならばまだいい。

 現実の「忖度」とは、あからさまに強制されつつ、それが強制する側の責任とはならない形で、しかもごく日常的に行われるのである。

 例えば旧軍などで、高級将校がどのように「命令」をなしていたか。

 下の人間に荷物を運ばせる場合はこのように言う。

 「その荷物、運んでいいぞ」

 言われた側は敬礼してこう答える。

 「はい、運ばせてもらいます」

 まあ、その時と人によって多少の違いはあれど、だいたいはこういう「呼吸」でなされる。

 こうすると「命令」が命令でなく、まるで下の人間の自発的な忠誠心の表れであるかのようになる。

 こうした形での欺瞞の積み重ねが「忖度」であり、それは表向きは忠誠心の発露でありつつ、実際は強制的な「圧力」である。

 同調圧力という言葉があるが、忖度圧力もまた存在したのである。

 世情語られる「忖度」には、こうした生臭さが欠けているように思われる。

 

 最後に、公共性の高いデマを一つ。

 あべぴょんは教育勅語が言えない。

 

 

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日経さんが書きました

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 まあ、さすがにこれを無視することはできなかったようだが、

 

 政府・与党には昭恵夫人の国会招致について慎重な意見が根強い。しかし様々な疑惑の解明に後ろ向きだと思われれば、政治不信を増大させる結果につながることをよく自覚すべきだ。 

 

 世論に配慮しつつあべぴょんの逆鱗に触れないよう、一生懸命配慮して書いている。この文章だと、総理夫人の証人喚問せずとも疑惑の解明に「前向き」でありさえすればいい、とも読み取れる。上手だねえ、こういうの。

 

 さて、今後どのような展開が考えられるだろう。

 とりあえず、現時点であべぴょんは辞任などまっっっったく考えていないそうだ。それから、稲田の辞任も同様である。

 総理夫人の証人喚問も全力で阻止するだろう。

 で、あべぴょんが今回の事態をどう把握しているかというと、

 「朝日新聞の謀略」

 だそうである。

 えー、信じられないほど幼稚な思考なので、信じなくても構わないし、信じたりしなくていいし、信じて欲しくない。

 とにかく、トランプに対して「僕は朝日新聞に勝った!」と勝利宣言したことで、朝日新聞が怒って謀略を仕掛けてきたんだそうだ。

 こんなレベルでしか状況把握できない人間が首相の座にあるとは、とてもじゃないけどありえない訳で、ありえないんだからありうるはずがないと、普通の頭脳の持ち主なら考えるはずだ。

 まあ、総理についてはどんなデマを流しても良い、と自らが裁判で「完全勝利」することで確定したのだから、これもデマということにしておけばいいんじゃないかと思う。

 一つ確実に言えることは、あべぴょんは「道義的責任」など一ミリも感じておらず、このまま突っ切れるはずだと信じているということだ。

 

 ともあれ、事態はようやく「3合目」と言ったところ。

 さらなる展開が望まれる。

 

 

世界陰謀全史

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日経さんその社説ならもう書いたでしょ

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 共謀罪が重要な問題であることはわかるが……

 以前書いた社説とほぼ同じというのは、どうしたものか。

 同じ繰り言を何度も垂れ流すというのは、日経さんに認知症の兆しがあるのではないのか。

 以前の社説は下の↓で、これを書いてからまだ一月半ほどしか立っていない。

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 以前はとにかく「説明」すればオッケーという話。

 今度は、どんな形であれ「審議」さえ済ませればオッケー、というものである。

 日経さんの言う「十分」とはそう言うニュアンスである。

 

 認知症に限らず、人は往々にして同じことを話して嫌がられることがある。

 同じことを話すことそのものが良くないのであれば、落語家なんぞはとっくに滅んでいるはずだ。

 人が同じことを話して嫌がられるとき、その内容はおおよそがその人の「享楽」に繋がる性質を持っている。

 日経さんの「享楽」とは、政権から距離を置きながらそれを支援してみせるという、部屋の隅のくずかごに丸めたティッシュを投げ入れた時のような、そうした類のものである。

 そうすることで、自らの立ち位置を守って動くことなく、政権の役割を果たさせることができる訳である。はっきり言って、「バカジャネーノ」と思う。

  「享楽」とは、他人から見て無価値の快楽なのだ。

 

 じじいの繰り言に付き合ってるほど暇ではないので、前回の社説について書いたエントリーを上げておこう。

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 こちらももう一度同じことを言わせてもらうなら、テロの防止とかぬかすんなら、「カジノ法案」なんか通してんじゃねえよ。それだけで「テロ」でんでん、いや云々の言い訳なんざウソだとわかるってもんだ。

 

恍惚の人 (新潮文庫)

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