あべぴょんは嘘を愛しすぎてる

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 日経さんはまだ「事態を暖かい目で見守る」姿勢でいるようだ。

 そりゃまあ、安倍晋三万歳とプリントされたお揃いのTシャツを着て靖国通りを練り歩く日経さんとしては、信じたくない事態ではあるだろう。

 しかし、これでもまだ「関与してない」と言うのなら、自分の恋人が見知らぬ他人と素っ裸でベッドで一緒に寝ているのを見ても、「これは裸で一緒に寝ているだけで浮気ではない」と言うようなものだ。こういう心性というのは、レイプしてもしてないと言い張るのと類似している。そういえば、なんかいたな、そんなのが。

 

 考えてみれば、この政権によって作られた法案で、大きな問題とされたものは、みんな「権力の嘘を正当化する」という問題点を抱えていることに気づく。共謀罪しかり、特定秘密しかり、安保法制しかり。

 さらには株価を膨らませ、GDPの算定すら変更した。

 原発は安全だと言い張って再稼働を認めた。

 こうした「嘘」を心地良いとして愛していた人たちが、これから必死の抵抗をすることだろう。

 とりあえず、日経さんもあべぴょんの嘘を愛していたことが、今日の社説で明らかになった。

 某産業経済新聞もそうだが、「経済」というのは嘘に馴染みやすいのだろうか?

 

 

TPPなら戦争は起こらないとでも?

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米国を除く環太平洋経済連携協定(TPP)参加11カ国が新協定「TPP11」に署名したのと同じ日に、トランプ米大統領が鉄鋼とアルミニウムに輸入制限の発動を命じる文書に署名した。安全保障を理由に鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税をそれぞれ課す。 

 

 「安全保障」を錦の御旗にやりたい放題、と。どこかの誰かさんと同じ口臭がするが、日経さんはその誰かさんに対し全裸で万歳三唱しているので、少しくやりにくいようだ。

 とまれ、日経さんはまるでTPPが平和条約ででもあるかのように語っているが、各国の国民(もちろん日本も含む)にとっては、「相互確証破壊」が発動されるようなものなので、あちこちが焼野原になるという点で同じようなもんである。

 TPPだのグローバリズムだのは、互いの国民を上級層の居住地を避けて「自由に」爆撃するようなものだ。もちろんその際、自分で自国民を爆撃することも「自由に」できる。

 トランプは相手国だけを爆撃しようとしているだけで、根っこの部分はTPPと同じである。

 

 米国が保護主義を強める中、TPP参加11カ国が米国の離脱から1年あまりでTPP復活の道筋をつけたのは大いに評価できる。米大統領は協定の修正を前提としたTPP復帰を検討する考えを示したが、米国を再び交えて交渉をやり直すのは非現実的だ。 

 

 非現実的というか、破壊的である点においてどっこいどっこいだがね。

 現在窮地に立たされている現政権が延命するようなら、来月の首脳会議でまたぞろ靴舐めすることになるだろうが、その時日経さんはどうするだろう。やっぱりまた社説でちょっと「苦言を呈する」だけで、相変わらず会社のお花見では「風雪に耐えて五年の八重桜ぁぁぁあああ!!」と輪になって喚くのだろうか。

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あの夏、兵士だった私

あの夏、兵士だった私

 

 

北風を吹かせていたら自分の方に吹いてきたという状況

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 日経さんもそうだが、これについては日本中が戸惑っている。まったく信用できない、したくない、という気持ちは理解できる。

 だが一つ言えることは、現在の韓国の大統領の外交スキルは、あべぴょんを数百倍上回っている、ということだ。

 このおかげで、当分ミサイルが飛んでくることがなくなり、政権は「国難」騒ぎを起こせなくなった。

 そして今現在、国会はとんでもない有様になっている。

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 説明するすると言ってさっぱり説明しないあべぴょんより、財務省に説明を求めている。日経さんが財務省の不都合を申し立てるとはよくよくのことだが、それよりもあべぴょんへの信仰心が上回ったということなのだろうか。

 とはいえ、公文書を偽造してまで守るべき政権、と財務省が「忖度」するとは思えないので、真正に財務省が「説明」するなら、政権からの「指令」に言及せざるをえないと思うが。

 まだ何か、裏の手を画策しているのだろうか。

 

 ともあれ、本当に朝鮮半島が非核化するなら、素直に快哉の声をあげたいと思う。

 これについて、おそらくあべぴょんもトランプも、「自分が圧力をかけたおかげだ!」と喧伝するだろうが、信者を除いてそれを真に受ける人間はいないだろう。

 ともに「北風」を一生懸命吹かせていたら、自分の方が「北風」を受けまくっているという状況なのだ。

 さらにこれは、北朝鮮の裏で糸を引いてるやつの思惑が崩れるということでもあるわけで、二重の嬉しさに浸ることができる。

 まだ喜ぶのは早すぎる、とは思うが。

 

北風と太陽

北風と太陽

 

 

トランプが貿易で「乱射」しそうだからグローバリズムで対抗しようとする日経さん

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 色々ありすぎて大人しくしていたトランプだが、啓蟄を前にして蠢きだしたようだ。

 それが結局は己の首を絞めることになる、と日経さんは警告するわけだが、トランプとしては相手の首さえ締められればどうでもいいということなので、その批判は「まったく当たらない」ということだ。

 

 トランプの大馬鹿三太郎には、芥子粒の半分ほども賛同できない。

 しかし日経さんは、企業より広く個々人の利益を優先する考えを、このバカのなすことと同じ「保護主義」のくくりに入れて非難してきたわけで、そちらもまたホウセンカの種ほどにも賛同できないのだ。

 

 それでも昨年は、環太平洋経済連携協定(TPP)から撤退したり、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉を始めたりしたのを除けば、通商秩序を乱すような過激な決定は控えていた。 

 

 トランプが本当にTPPから「撤退」するなら、多少斟酌するところはあったが、要するに自分だけに目一杯都合のいいように書き換えたいのだろう、という意図が見え見えだったので、驚きよりも冷笑が先に立ってしまった。

 案の定トランプは、自分に都合よく書き換えるなら、TPPに復帰してもいい、と言いだしている。

 

今回の決定は米政権の本格的な保護主義化の第一歩となる可能性がある。そうならば世界にとって非常に憂慮すべき事態である。 

 

 保護主義グローバリズムも、下々の人間にとっては共に「憂慮」すべき事態である。

 繰り返すが、その点ではトランプと日経さんは同じ穴のムジナなのだ。

 日経さんは貿易「戦争」と喚いて危機感を煽りたいようだが、それは「銃乱射事件を防ぐために、教師も銃で武装しろ」という、トランプと同レベルの物言いである。

 

 

裁量労働拡大よいつまでも先送りされてくれ

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 さて、日経さんの裁量労働についての御託である。

 

 柔軟に働くための労働時間制度の改革を、後退させてはならない。仕事の進め方や時間配分を働き手自身が決められる裁量労働制の対象業務の拡大は、できるだけ早く実現すべきだ。 

 

 前回でも触れた通り、裁量「労働」と言いつつ、「仕事の進め方」という日経さんの詐術である。しかし、こういう錯誤は一般認識として広まってしまっているので、堂々と述べ立てることができるわけである。

 

 安倍晋三首相は裁量労働制をめぐる不適切データ問題を受けて、働き方改革関連法案から同制度に関する部分を切り離し、今国会への提出を断念する方針を決めた。だが対象業務の拡大を先送りすればするほど、働き方改革の眼目である労働生産性の向上は進みにくくなる。柔軟に働ける制度の意義を政府は認識し直してほしい。

 

 あべぴょんが下手をうったわけだが、どうしてそのようなことが起きたかというと、まずあべぴょん自身にそれほど熱意がないこと、なぜ熱意がないかというと、あべぴょんが「裁量労働」というのがよくわからないということ、さらには「労働」というものがどういうものなのか、実感としてつかめていない、ということがあるだろう。

 

 国会での裁量労働制論議が不適切な調査データの問題にばかりとらわれているのは、おかしなことだ。時代の変化に合わせた労働法制のあり方をどう考えるか、という本質的な議論にこそ力を入れるべきではないか。 

 

 なので、最初はあべぴょんもデータの捏造について謝罪しても、法案は通そうとしていたわけだ。ところが、その後に間の抜けたことがどんどん明らかになってきたので、このまま法案を通せば政権の「印象」が悪くなると判断したのだろう。

 しかもこれは直接生活に関わる「労働」の問題なので、なんとなくやり過ごして北朝鮮からミサイルでも飛んでくれば忘れてもらえる、という類のものではないのだ。戦争法案や共謀罪とはその辺が違う。「間抜けな政府がやらかした法律で生活が苦しくなった」という「実感」が広まれば、今まででっちあげた「アベノミクスで景気を良くした」という「印象」など、やすやすとぬぐいさられてしまう。

 

 時間をかけて働くほど賃金が増える現在の制度には、働き手自身の生産性向上への意識が高まりにくいという問題がある。戦後、長く続いてきた仕組みだが、国際的にみて低い日本のホワイトカラーの生産性を上げるには制度の見直しが不可欠だ。 

 

 現在でもホワイトカラーとされる人たちで、時給感覚によって働いている人は少ないだろう。でなければ「サービス残業」などという悪しき慣習は生まれないはずだ。つまりは、「サービス残業」をサービスではなく「当然」のものにしたい、ということである。

 

 グローバル競争がさらに激しくなり、人工知能(AI)が普及すれば、生産性の低いホワイトカラーは失職する恐れもあるだろう。 

 

 ホワイトカラーの賃金をAI導入にかかる経費よりも安くしておけばいい、ということである。

 

 社会のこうした変化に備える改革が、裁量労働拡大であり、成果をもとに賃金を払う「脱時間給」制度の創設である。裁量労働の拡大では、法人顧客への提案業務をともなう営業職などが新たに対象になる。一部の専門職などに限られている対象者が広がる。

 

 「社会の変化に備える」とは、安い賃金で目一杯働くということであるらしい。

 

 最初の法案が提出されてからこの4月で丸3年になる。日本の成長力の底上げを考えるなら、裁量労働制の拡大をこれ以上、先延ばしする時間は本当はない。法案に残す脱時間給制度の新設は政府が意義を十分に説く必要がある。 

 

 先延ばしする時間はないとか、どういう根拠から言ってるのか。アベノミクスでバブル越えで戦後最長の景気拡大なんじゃなかったのかね?

 

 今回の国会論議の混乱は首相が不備なデータをもとに裁量労働制が労働時間の短縮につながるかのような答弁したことに端を発している。政府内には裁量労働の拡大について、実態を把握し直さない限り推し進めないとの声がある。 

 

 「声がある」とか、当然のことを言っているのに、雑音めいた扱いだな。

 

 しかし、そもそも裁量労働制は、働く時間の短縮を目的とした制度ではない。厚生労働省労働政策審議会はこれまで相当の時間をかけて議論してきた。国会審議の先延ばしは日本の生産性の低迷を長引かせるだけだ。 

 

 はい、ここ重要。

そもそも裁量労働制は、働く時間の短縮を目的とした制度ではない。

 それはそうなんだろうが、捏造したデータを使って労働時間が短縮されるかのような「印象操作」を行ったのが間違いの元だ。

 

 日経さんは二言目には「日本の労働生産性の低さ」を言うが、それの原因はむしろ経営者たちの側にあると思われる。

 誰か社長が務まるAIを作って会社を経営し、社会を変革してもらえないかね。今の日本企業の経営者などは、だいたいAIに入れ替えたほうが業績が良くなると思う。社長への報酬がいらなくなるし。

 

 

 

 

 ついでなので、アダム・スミス国富論』から、今回の件に関わる言葉をいくつか引用しておこう。

 

 雇用主の利害は社会全体の利害とはくいちがいがあり、正反対ですらある。

 雇用主たちが商業についての新たな法規を提案したなら、注意を怠ってはならない。

 雇用主たちはよく、社会全体をあざむき、機があれば抑圧し、実際に幾度もそうしてきたのだから。

 

 

 労働者の団結というのはよくきくが、雇用主の団結などはあまりないことだといわれる。しかしそれを信ずるならば、雇用主について知らないというより、世間知らずというものだ。雇用主はいつどこにあっても団結し、秘密裏に労働者の賃金を引き上げないように画策している。

 

  政府を従来のごとく財産の安全を守る制度とみるならば、実態として、その制度は貧乏人から金持ちを守るものであり、財産をまったくもたない人から多少なり財産をもつ人を守るための制度なのである。

 

 

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

 
国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下)

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (下)

 

 

「裁量労働」という名の詐欺

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 裁量労働に関する国会のドタバタについて、「その調査は裁量労働的にどうなの?」というツッコミが浮かばないでもないが、当を得た批判が多くなされているので、ここで屋上屋を架することはやめておくことにする。

 また、日経さんお得意の「サルの論理」についても、言説への批判はまた次の機会に譲る。

 

 この問題は「裁量労働」など存在しない、ということにある、と私は考えている。

 裁量労働とは「労働」ではなく、本来「仕事」であるべきである。

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 「労働」とはおおむね肉体的で単純なものであるが、それは生活と直接に結びつき、なくなれば個々人の命にかかわるものである。しかし、だいたいが不自由だ。

 「仕事」は個人の技量によって作品を制作するが、生活よりも快楽に結びつくことが多く、なくなっても直接命に関わるようなことはない。そして、そこそこに自由である。

 

 一般に使用される語法として「仕事に行く」とは言っても、「労働に行く」とは言わない。「肉体労働」という言葉はあるが、「肉体仕事」といのはない。「労働者」という呼称はあるが「仕事者」とは呼ばない。などなど。

 仕事と労働は無意識に別物として語られはするが、それはまた無意識であるがゆえに、時に雇用者側に都合よく錯誤して語られる。

 その錯誤は、この「裁量労働」という言葉にもまた同様に用いられている。

 労働は元々「裁量」などできない。

 裁量できるのは「仕事」の方である。

 「裁量」は労働を仕事であるかのように錯覚する、もしくは錯覚させたい、さらには錯覚したい、というライトモチーフによって語られる。

 かくして、労働を「仕事」であるかのように錯誤させ、労働者を過剰に搾取するためのツールとして、「裁量労働」という詐欺的呼称が使用されるのだ。

 

 こうした詐術に社会が自覚的にならない限り、もし今回この法案が挫折したとしても、繰り返し同様の詐欺が行われるだろう。

 

 

詐欺の帝王

詐欺の帝王

 

 

脳みそを食べられても大丈夫と言いつのる日経さんなのだった

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 円陣を組んで「ふぁいと〜お〜」とか、空々しい掛け声を高らかにあげてみせる日経さんである。

 本当なら警戒すべきところを、日経さんの立場としてはそう言えないので、景気づけに応援することでごまかそうとしているのだろう。

 そんなうそ寒い社説のポイントはこの部分である。

 

 東芝アシックスで誕生する、異業種出身の外部経営者の手腕にも注目したい。

 

 論説の途中に突然一行だけ挟まれるので異物感が半端ないんだが、問題はアシックスと一緒に並べてさりげなさを装う東芝さんの方である。

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東芝CEOに大物バンカー就任、53年ぶり外部登用に社内は警戒 | inside Enterprise | ダイヤモンド・オンライン

 

 ハゲタカが東芝を食い散らかした挙句、ついに脳みそを食べに来た、という構図が思い浮かぶ。

 CVCキャピタルをハゲタカと呼ぶかは異論が出て来そうだが、東芝の尻肉をむさぼり食らう買収はその名に値する、と私は考える。

 企業性善説によってM&Aマンセーな日経さんは、この先どんな地獄が待っていようと、天国への道であるかのようにアナウンスしなくてはならないので、とりあえず明後日の方向へ気合いを入れてみた、というところである。

 

 脳みそを食われた企業がどうなるかといえば、ゾンビとなって社員を喰い散らかすようになるのだ。

 心ある東芝社員は逃げた方がいい。それとも、すでに「死体運搬係は営倉へ」のアナウンスが、子守唄のように聞こえてしまっているのだろうか?

 

 

母なる夜

母なる夜

 

 

「ひとつ、いつも静かなアナウンスがあったんだ。子どもをあやすみたいだったな。一日に何回もだ。ゾンダーコマンドーへの呼び出しだった」

「というと?」

「Lwichentrager zu Wache」目を閉じたまま、静かに彼。

 訳そう……「死体運搬係は営倉へ」。何百万人と殺すための施設だ、ありふれた呼び出しだったと知れる。

「二年くらいだな、うるさいスピーカー越し、音楽の合間にそんな呼び出しを聞いてると、だ。死体運搬係ってのが、突然えらくいい仕事に聞こえてきたんだ」

「分かる気がします」

「君は分かるのか?」頭を振り、彼。「私は分からん。いつも恥じている。ゾンダーコマンドーに志願するだなんて――何とも恥ずべきことだ」

「そうは思いませんが」

「私は思うんだ」彼は言う。「恥ずべきことだよ……もう二度と、この話はしたくない」