命より大切なものとは何か?
命より大切なものとは何か?
愛か?恋人か?家族か?名誉か?国家か?
もしくは金か?
命より大切なもの、それは「財産」propertyである。
金moneyとか富wealthという答えはニアピン賞だ。
それは、おおっぴらに語るのは恥ずべきこと、とされている。子どもの作り方以上に。このことは、「墓の下まで持って行けるわけじゃあるまいし」というセリフなどで、世間的にはナチュラル・メイクされているため、普段はほとんど意識されることはない。
だが、事業に失敗するなどのイベントがあると、たちまちそれは眼前に立ち上ってくる。
命よりも大事だから、それは愛や恋人や家族や名誉、そして国家などよりもずっと大切なものになる。
だから「財産」を有するものは、国家を愛さない。たとえ愛したとしても、それは財産よりも下である。もし「自分個人よりも国家が大事」と口にしたとしても、それはそれで財産以上にはならない。ゆえに、国家のために働くことはあっても、命を国家に捧じて棒に振ることはない。
民衆に国家へと命を捧げるほどの愛国心を持たせるには、民衆から「財産」を奪わなくてはならない。
それについては、何よりも自らの財産を大事とすることを「恥」と考える機制が役に立つ。
国家について論ずるとき、人命について語られることはあっても、個々の財産について語られることはほとんどない。多くの財産を持つものはそれを望まないし、権力の座に近しいものは、ほとんどが財産を多く有するからだ。
ゆえに、「愛国心」を口にするものの真の目的は、無意識的にではあるが、民衆の財産を奪うことにある。
命などという値段のつかないもの、すなわち一銭にもならないものなどは、実は必要とはされない。
愛国心とは、民衆から財産を奪略するための方便なのだ。
以上はジンメルの『貨幣の哲学』を読みながら頭に浮かんだことだが、この書物にあることを絡ませながら記述すると極めて煩雑になるため、簡略な形に改めた。