「裁量労働」という名の詐欺

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 裁量労働に関する国会のドタバタについて、「その調査は裁量労働的にどうなの?」というツッコミが浮かばないでもないが、当を得た批判が多くなされているので、ここで屋上屋を架することはやめておくことにする。

 また、日経さんお得意の「サルの論理」についても、言説への批判はまた次の機会に譲る。

 

 この問題は「裁量労働」など存在しない、ということにある、と私は考えている。

 裁量労働とは「労働」ではなく、本来「仕事」であるべきである。

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 「労働」とはおおむね肉体的で単純なものであるが、それは生活と直接に結びつき、なくなれば個々人の命にかかわるものである。しかし、だいたいが不自由だ。

 「仕事」は個人の技量によって作品を制作するが、生活よりも快楽に結びつくことが多く、なくなっても直接命に関わるようなことはない。そして、そこそこに自由である。

 

 一般に使用される語法として「仕事に行く」とは言っても、「労働に行く」とは言わない。「肉体労働」という言葉はあるが、「肉体仕事」といのはない。「労働者」という呼称はあるが「仕事者」とは呼ばない。などなど。

 仕事と労働は無意識に別物として語られはするが、それはまた無意識であるがゆえに、時に雇用者側に都合よく錯誤して語られる。

 その錯誤は、この「裁量労働」という言葉にもまた同様に用いられている。

 労働は元々「裁量」などできない。

 裁量できるのは「仕事」の方である。

 「裁量」は労働を仕事であるかのように錯覚する、もしくは錯覚させたい、さらには錯覚したい、というライトモチーフによって語られる。

 かくして、労働を「仕事」であるかのように錯誤させ、労働者を過剰に搾取するためのツールとして、「裁量労働」という詐欺的呼称が使用されるのだ。

 

 こうした詐術に社会が自覚的にならない限り、もし今回この法案が挫折したとしても、繰り返し同様の詐欺が行われるだろう。

 

 

詐欺の帝王

詐欺の帝王

 

 

脳みそを食べられても大丈夫と言いつのる日経さんなのだった

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 円陣を組んで「ふぁいと〜お〜」とか、空々しい掛け声を高らかにあげてみせる日経さんである。

 本当なら警戒すべきところを、日経さんの立場としてはそう言えないので、景気づけに応援することでごまかそうとしているのだろう。

 そんなうそ寒い社説のポイントはこの部分である。

 

 東芝アシックスで誕生する、異業種出身の外部経営者の手腕にも注目したい。

 

 論説の途中に突然一行だけ挟まれるので異物感が半端ないんだが、問題はアシックスと一緒に並べてさりげなさを装う東芝さんの方である。

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東芝CEOに大物バンカー就任、53年ぶり外部登用に社内は警戒 | inside Enterprise | ダイヤモンド・オンライン

 

 ハゲタカが東芝を食い散らかした挙句、ついに脳みそを食べに来た、という構図が思い浮かぶ。

 CVCキャピタルをハゲタカと呼ぶかは異論が出て来そうだが、東芝の尻肉をむさぼり食らう買収はその名に値する、と私は考える。

 企業性善説によってM&Aマンセーな日経さんは、この先どんな地獄が待っていようと、天国への道であるかのようにアナウンスしなくてはならないので、とりあえず明後日の方向へ気合いを入れてみた、というところである。

 

 脳みそを食われた企業がどうなるかといえば、ゾンビとなって社員を喰い散らかすようになるのだ。

 心ある東芝社員は逃げた方がいい。それとも、すでに「死体運搬係は営倉へ」のアナウンスが、子守唄のように聞こえてしまっているのだろうか?

 

 

母なる夜

母なる夜

 

 

「ひとつ、いつも静かなアナウンスがあったんだ。子どもをあやすみたいだったな。一日に何回もだ。ゾンダーコマンドーへの呼び出しだった」

「というと?」

「Lwichentrager zu Wache」目を閉じたまま、静かに彼。

 訳そう……「死体運搬係は営倉へ」。何百万人と殺すための施設だ、ありふれた呼び出しだったと知れる。

「二年くらいだな、うるさいスピーカー越し、音楽の合間にそんな呼び出しを聞いてると、だ。死体運搬係ってのが、突然えらくいい仕事に聞こえてきたんだ」

「分かる気がします」

「君は分かるのか?」頭を振り、彼。「私は分からん。いつも恥じている。ゾンダーコマンドーに志願するだなんて――何とも恥ずべきことだ」

「そうは思いませんが」

「私は思うんだ」彼は言う。「恥ずべきことだよ……もう二度と、この話はしたくない」

 

あべぴょんのあべぴょんによるあべぴょんのための改憲

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まるで自民党自民党による自民党のための憲法改正である。 

 

 いや、「自民党」じゃなくて、日経さんが昼休みに全社員を五体投地させている「あべぴょん」のためだよ。

 こういう時だけ、「安倍」の名前を外して、ただ「自民党」とばかり書きつけるのは、やはり信心のさせる技なのか。

 拳を振り上げながら、肝腎どころで甘やかす日経さんなのだった。

 

チベット仏教の真実―「五体投地」四百万回満行の軌跡

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慣用句に頼って空振りする日経さん

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 とにもかくにも保護主義を蛇蝎のごとく嫌う日経さんである。

 

世界貿易機関WTO)は安保を理由にした輸入制限を認めているが、想定されているのは差し迫った紛争など例外的な事態だ。輸入制限を正当化するような安全保障上の事態が起きているわけではなく、米国が導入に踏み切れば、安保を理由にした輸入制限が各国で乱用されかねない。 

 

 あれれ?北朝鮮は?

 ついこないだ、どっかの国が「国難」とか喚いて選挙してなかったっけか。

 つまり、日本でやたらと報道されているのは大袈裟もいいとこだ、と?

 

こうした枠組みを無視して独断的措置を取れば、中国などが「問題を起こしているのは米国」と矛先をかわそうとするのは確実だ。 

 

 グローバルな自由貿易の盟主の座は、とっくに中国に移ってるでしょ。

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米政権はすでに多くの輸入鉄鋼製品に反ダンピング(不当廉売)関税を課しており、鉄鋼価格は上昇している。

 

 じゃあ、今更何を騒ぐのやら。

 

 「百害あって一利なし」と鼻の穴を膨らませる割には、その百害の方がイマイチはっきりしない日経さんなのだった。

 

 

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胸を張ってお茶を濁す日経さんなのだった

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 また日経さんのポストイット社説である。

 レポートを書くとき、ポストイットに思いついたことを書いて貼り付け、あーでもないこーでもないと順番をいじり、適当に間をつなげて一丁上がり、というやり方がある。

 日経さんの社説は「適当に間をつなげる」ということすら、面倒臭がってやってないようだ。

 しかもお題は、まだ「試案」がまとまったような気がしないでもない、という段階だ。

 そんなに書くことがないのかね?

 

 会社と株主の関係なんて、何をどうしたって正解なんか出てこないんだから、何をどう言おうがお咎めなしである。

 しかし、日経さんにとって、会社も株主も大事な大事な顧客であり、その間に挟まって何か申し立てるとするなら、胸を張ってお茶を濁す、くらいしかできないわけだ。

 

 もう株の取引なんざAI に全部お任せにして、総会でもAIに喋らせたらいいんじゃないのかね。ついでに会社経営もAIに任せれば、総会なんざ秒とかからず終了するだろう。

 

 

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未来を語る者は反日である

 「未来を語るものは反動だ」というのはマルクスのセリフだ。

 基本的にマルクスは未来だの理想だの語る者を嫌っていた。アジテーションで相手を罵倒するレトリックとして口にすることはあっても、自らの思想にそれらの居場所を造ることを良しとはしなかった。

 さてその未来、日本における経済の未来だが、アベノミクスであるところの異次元緩和によって、語ることを封じられている。

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 緩和の出口どころか、ハルヒコの「後任」すら考えることをはばかられる、それが日本の現状である。

 当ブログで幾度か書いているように、日銀による国債引受がなぜ禁じ手かといえば、それがハイパーインフレを招くからでも、モラルハザードをもたらすからでもなく、「出口」がないからだ。

 出口がないということは、未来がないということでもある。

 未来とは、人間が思い描きうる将来のことで、それを失うことは、未来を基準にして自らの行動を決定することをやめるということでもある。

 ここから先、やってくるのが地獄か天国か知らないが、とにかく突き進むしかないのだ。うかつに未来(出口)など探せば、たちまちバランスを失ってずっこけてしまう。

 ゆえにアベノミクスを信奉するリフレ「派」のみなさんは、アベノミクスに対して「未来」を語ることをしない。

 日本の経済に関する思考から「未来」を奪い、未来を基準として行動する「理性」を奪い、ただひたすら突進するものにとって、なすべきはその先導を崇め奉ることだろう。

 それゆえ、リフレ「派」の方々はあべぴょんを讃仰してやまない。

 あべぴょんの瑕疵となるものは、反知性的な言動をなしてでも、覆い隠そうとする。

 それは、アベノミクスの「出口」という未来を語ることもまた同様であり、未来を語ることは反政権とされ、それはすなわち「反日」である、となされるわけである。

 どんな英才だろうと、賭場で大枚賭ければ理性的ではいられなくなる。

 それが国をあげてなされているのが、今の日本の状況なのである。

 

 日経さんはあべぴょんを「信じている」が、リフレについては懐疑的である。

 だが、少しでも口を挟もうとすれば、たちまち反日とされてしまうだろう。

 それと似たようなことが起きたのが戦前であり、起こしたのが高橋是清なのである。

 

 

高橋是清と井上準之助―インフレか、デフレか (文春新書)

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途端に態度が不穏になって自ら不安を煽ってしまう日経さん

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 日経さんは状況がまずくなると、途端に態度が不穏になってくる。

 思ってたほどには相場が反発しなかったんで、「み、みんな、落ち着け、おちおおちつこう!」とうろたえるもんだから、「まずお前が落ち着け」と言ってやりたくなる。

 気まぐれどころか、気持ちがどこにあるのかわからない株主たちのご機嫌をとるのにくたびれ果て、大企業たちはとりあえず内部留保を積み上げているわけで、今更株価がどうかなったくらいで大慌てするのは日経さんくらいのもんだろう。

 

 株主の関心は、企業が抱える100兆円余りの手元資金の使い道にも向けられている。賃上げや投資を通じて経済を活性化させることは、企業の成長基盤を強くし、株主の利益にもかなう。 

 

 株主の関心が配当アップにしかないことは、日経さんの方がよっくご存知のはずだが。

 ともかく株価が下降局面にあるときには、「株主性善説」を声高に叫び、「株主は悪くない!株主はみんないい人!株主は賢者!株主は聖人!!」と青筋立てて喚き散らす日経さんなのである。

 

 足元の株価下落はコンピューターの自動取引で増幅されている面が大きい。企業は市場との対話を通じて、株価変動への耐性を高める必要がある。 

 

 最後になって書いたことを全部ちゃぶ台返しするあたり、うろたえっぷりが半端なくて笑えてしまう。日経さんがこんな社説を書くことの方が、よっぽど市場の不安を煽るように思えるのだが。