「忘原発」という名の欲望

 先般の滋賀県知事選は自公の候補が競り負ける形となった。

 これを言祝いだ人たちも多かったようだが、私は素直に喜べなかった。そして、なぜ喜べないのか、自分でもよくわからなかった。

 それ以前の都知事選では、脱原発側が敗北したかのように言われたが、そうとは思えなかった。

 これらの勝敗とは別の、妙な流れがあるように感じられたからだ。

 

 なんとなくわかるのは、大勢の人が原発のことを「忘れたがっている」ということだ。

 そうした欲望の流れに足を浸す人たちは、原発について忘却を許さない脱原発側に背を向ける。

 だが、そこからまた逆に、原発の再稼働もまた彼らにとっては嫌悪の対象なのだ。もしも原発が稼働しだしたら、定期的に避難訓練をしなくてはならないし、ちょっと大きめの地震があるたびにビクビクすることになる。

 「忘原発」を欲する人たちが望むのは、フクイチが崩壊する以前の、原発のことなど何も考えずにすんだ生活を取り戻すことだ。

 そんなのは無理だということはわかっている。わかっていてなお、それを求めるのだ。この幼児的な欲望は、理性も論理も伴わない。それどころか、判断や思考ですらない。頑是無い幼児の「おむずかり」と同じようなものだ。

 

 こうした流れは、原発に賛成であれ反対であれ、原発を意識的に扱うことに反発することになる。

 今回の県知事選はそれが自民側へ不利に働いたわけだが、それで「忘原発」への欲望が消えたわけではない。

 脱原発側がこの流れを利用するなら、原発を表に出すことなく脱原発を言わなくてはならない。まずは、クリーンエネルギー推進、といったところか。

 だがしかし、再稼働側には「忘原発」について、一層の利がある。

 なんといっても、マスコミを「アンダーコントロール」下に置き、原発のことなど一切気にせず生活できるようにする、というのも「忘原発」の欲望に沿ったものだからだ。いや、むしろ、こちらの方がより欲望の向かうところに近いように思われる。

 

 この欲望を御することができなければ、これから先はあやういだろう。

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