民主主義はゆっくりと進む
国内は憂鬱なニュースが続くが、海外では良いことがあった。
ずいぶん交渉が長引き、途中であきらめの声も聞かれたイランとアメリカの核合意が成ったのだ。
イスラエルはすぐさま抗議し、また米国内の保守な連中も「あんな国が信用できるか」とわめいている。
合意を支持する米国人すらも、「経済制裁が効いた」と手柄顔だ。
しかし、この合意における一番の勝者はイランの一般大衆である。
「イランの安倍晋三」と私が個人的に呼んでいたアフマディネジャドをたたき落とし、革命防衛隊から政権へののあからさまな影響を取り除くことに成功した。
それらは経済制裁などなくとも、やがては起こりえた出来事だろう。
イランは欧米先進国から監視団体が派遣されずとも、「民主的」に選挙を行い、国家の馬鹿げた「つっぱり」をやめさせたのである。
イラン革命が成ったとき、欧米では「革命はやがて破綻してイランは混乱状態になる」という意見が多かった。言ってみれば、現在のイラクや「アラブの春」のようになる、と思われていたのだ。
だが、その予測は外れた。イラン=イラク戦争に敗北し、ホメイニが死んだあとでも、イランは民主的に選挙を行い、大統領を選んでいた。
アメリカと敵対しつつ。
とはいえ、まだ道半ばであり、今後も余談の赦されない状況は続くだろう。
残念なのは、イランと国交のある日本が何の存在感も示せなかったことだ。
アメリカに押さえつけられたのだ、と言い訳するかもしれないが、本当は日本の外交筋がまったく怠けていたのだろう。「合意は無理」と勝手に判断していたのかもしれない。
アフマディネジャドは手段を選ばず政権にしがみつき続け、イランの社会を腐らせた。時間がかかったとはいえ、それを排除したイラン国民を見習いたいものだ、と思う。