本音が透けて見えるシースルー社説
ずいぶんへどもどした社説だ。どうしてへどもどした物言いになるかというと、何かを隠しながらしゃべっているからである。
インドが核拡散防止条約(NPT)に未加盟で、核兵器を保有していることも忘れてはならない。締結交渉はこの点が問題になり6年以上を費やし、国会審議でも核不拡散をさらに形骸化させかねないと懸念する声が出た。
敵対的共犯関係にある北朝鮮の核武装をテコに、自国の核武装を進めたい人たちにとって、NPTなどというものは「形骸化」させておきたいものだろう。
日本政府はインドが核実験を再開した場合、協力を停止すると説明している。加えて、日本から供与した技術の軍事転用を防ぐ厳格な歯止めも欠かせない。核不拡散のルールを守りながら、地に足のついた協力を進めるべきだ。
それは原発が完成した後も有効なわけではないだろう。
また一時的に協力を停止したとしても、すぐなんらかの理由をつけて再開することは目に見えている。それが日経さんの言う「地に足のついた」ということだからだ。
インドは経済成長に伴い電力需要が急増し、2050年までに電力の25%を原発で賄う計画を立てている。温暖化防止でも原発を重要な手段と位置づける。日本より先に米国やフランスなどと原子力協定を結び、仏アレバ社から6基を輸入する計画も動き出した。
アレバ社は経営不振で国から援助を受けている。インドの件は干天の慈雨というべきものだろう。
同国への輸出をめざしていた東芝の子会社、米ウエスチングハウスが経営破綻し、計画の一部は修正を迫られているが、インド政府は原発増設の方針を変えていない。原子炉本体を欧米企業が輸出する場合でも、部材を提供する日本企業抜きには成り立たない。
インド政府による全体の方針は変わらずとも、日本側の事情が変わったのだ。インドの原発計画は当初ウェスチングハウスを躍進させるものと喧伝されたが、ウェスチングハウスは現状で東芝どころか日本財界のお荷物となっている。ここにある見通しは楽観的に過ぎるだろう。
なんだこの文章。生かさない道もあるのか? だいたい「技術」が高まっても、それを扱う人間の「思想」がそのままなら、やがて破綻を来すのは先般の大洗を見ても明らかではないか。
日本は唯一の被爆国として核兵器を持たず、他国の核武装に協力しないことを原則としてきた。今回の協定をテコにして、インドに核実験停止の約束を守り続けるよう求め、NPTへの加盟も粘り強く働きかけることが大事だ。
お手本のような詭弁である。
その原則を守るなら、インドへの原発輸出をやめるべきだ。
インドは太陽光発電など再生可能エネルギーを増やす計画も表明している。日本政府はエネルギー分野の協力を原子力だけにとどめず、再生エネルギー分野などに広げていくことも考えるべきだ。
「すべきだ」ではなく「考えるべきだ」、と日経さんが書く時は「考えるだけでいいよ。何もしなくても」という意味である。
このように、本音を口いっぱいにほおばって喋るから、へどもどしてしまうのである。ちょっと落ち着いて読めば、本音がスケスケである。