現実と妄想の区別がつかない人たち

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 現在の安保法制を巡る状況としては、政府が強行採決を行ったあとで「議論は尽くした」というために、相手に言いたいだけ言わせておいて鼻であしらい、その補強として参考人として学者を呼んだら、自分たちが連れてきた学者が「憲法違反」だと言ったもんだから、こんなまぬけどもに重要法案をまかせていいのか、という懸念が浮かび上がってきた、というところだろう。

 憲法論云々よりも、大衆に政府の「まぬけさ加減」が印象づけられることのほうが大きな影響がある。

 それを糊塗するために口を開けば、「たくさんいる」が三人だったり(最近一〇人に水増しされたみたいだが)、どいつもこいつも日本会議だったり、よけいに傷口が広がっているわけだ。

 

 で、こういったとき、二言目には「現実」とやらを持ち出すわけだが、日経さんはシーレーンという耳にタコの養殖場できるような「現実」を繰り返すばかりだ。

 今ある「現実」として、中東のならず者集団に日本人が人質になって殺されても、政府はその解決に協力するどころか邪魔ばかりする、ということがあるわけだ。

 こうした「警察」っぽいことを必要とする「現実」は、軍隊が大好きなお子様にはウケが悪いらしく、さっぱりふりかえられない。まさかとは思うが、安保法制が通れば全部解決!とか考えていないだろうか。

 現実に問題が存在するのは確かだが、集団的自衛権やら安保法制やらでそれらが解決する、などと考えるのはただの妄想である。

 もはや憲法以前に、軍隊というものが前世紀ほど役に立たない状況にあることを認識すべきだ。

 

 

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