その憂慮とやらは誰が元になっているのか
なにやら日経さんが「憂慮」している。
その「憂慮」こそは、ある種の人々が望んだとおりのものである。
その人々とは誰か。
こういう傾向はこないだのBrexitと根を同じくするものだろう。
その傾向を有する彼ら全員が抱えるルサンチマンはどこから来るか。
それは新自由主義による「格差の肯定」によるものだ。
「富者の論理」「強者の論理」「勝者の論理」すなわちサルカニ合戦の「サルの論理」を正しいものとし、それをばらまいたがために起きた現象である。
社会のこうした出来事は今までどれだけ予言しても、行くところまで行かないと正しいと認識されないのが辛いところだ。
サル(勝者)はカニ(敗者)について、何ら関心を持たない。
カニが死んでもサルはさっさと忘れるだけだ。
それが「正義」として広められ、社会に多数派を形成する人々が「サルの論理」を身につけた時、
これまでの対外政策を根本から覆しかねない人物がホワイトハウスへあと一歩の地位まで来た事実
が眼前に現れたというわけだ。
トランプを誕生させ、Brexitを引き起こし、さらに日本で、口だけで何もやらない無能が改憲に邁進しつつあるという事態も、元はといえば日経さんが寄って立つ「新自由主義」と名付けられた「サルの論理」から来ているのだ。
日経さんの「憂慮」は、日経さん自身もその原因の一端を担っている。
サルが自分のたれた屁に驚き騒ぐようなものだ。
そのルサンチマンは、過剰に肯定された強者の論理を、弱者が身につけてしまったところから湧き出てくるのである。