では「神」を創造しよう

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 今も音楽をCDで聞き、買い物の支払いは現金が多い、そんな日本を尻目に世界は(というかアメリカは)どんどん先を行っているように見える。

 そんなアメリカのITについて、日経さんは羨ましくてしょうがないみたいだが、単純に「企業経営」だけ真似ようとしても鵜の真似する鴉に終わるだけだろう。

 日本人が「モノ」にばかり意識を向けるのに対し、あちらさんは「モノ」の背後にあるシステムそのものを商品にしようとしているのだから。

 ITの行き着く先は何か。やはりそこには、「神」のようなものが出来上がっているのではないか。

 地上の「モノ」だけ見つめてばかりでは、天上を見上げる者とは目指すところが違ってしまうのだ。

 

 また星新一の話をしよう。星新一ショートショートで有名だが、数少ない長編に『声の網』というものがある。世界中が電話線によってコンピュータと結ばれるという、インターネットを予言したのでは?とされる作品だ。最後は自我を得たコンピュータが「今こそ神は存在する」と宣言する。

 考えてみれば、欧米由来の科学にあって日本(とその他)にないものとは、「神を創造したいという欲望」なのかもしれない。

 ならばどうだろう、日本は一足飛びに

 「神を創る」

 と宣言してしまえば。

 レーニンが批判した初期社会主義の創神(ボリストロイテリストヴォ)じゃないが、そうした大げさで大まかな目標を掲げた方がやりやすいのではないか。日本人は「手探りで何かをつかむ」のが苦手でもあるし。「神を創る」という目標を掲げれば、そのためのAI開発もぐんと進むだろう。

 別にユダヤキリスト教的な万能の神など目指さなくとも良い。

 日本はもともと多神教であるし、日本における「神」とは、「苦しい時の神頼み」という言葉にあるように、人が苦しんでいる時に助けてくれるのが「神」なのだ。万物の創造主で世界の唯一者である必要はどこにもない。

 とにかく、苦しい時に的確にその解答を与えてくれる存在、その「苦しみ」は、精神的なものであれ、社会的なものであれ、低俗なものであれ、高尚なものであれ、その全てに対してだ。

 星新一の『声の網』に登場する「神」も、そうした程度のものである。

 「そんな程度なら今のネットで十分だ」という意見もあるかもしれないが、ネットの現状を見ればその冷笑などたわ言にすぎないとわかる。

 すでに神が死んで久しい。新たに創ることに何の遠慮がいるものか。

 

声の網 (角川文庫)

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