日経さんとその仲間たちのダブスタ

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 また日経さんのトランプ保護主義批判である。ともあれ、米経済は日本なんぞ歯牙にもかけず絶好調で、今度は中国相手にガチンコ勝負を挑むという。

 そこへパウエル殿が故障を申し立てたので、日経さんも尻馬に乗っかる形でやいのやいのとはやし立てている。

 

 それはともかく、日経さんとその仲間たちであるところの新自由主義の面々は、「関税」というものをまるでコウガイビルの群れのように嫌悪してやまない。

 であるにも関わらず、「消費税」については値上げを主張し、将来的にはさらなるアップも必要だ、と断言なさっている。

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 これはちょっとおかしいのではないか?

 

 というのは、消費税の元々の元は、17世紀イギリスで市民革命の際に導入された「品物税」である。(内国消費税という訳もあるが、現在は別の意味で使われてるので、 仮にこう呼んでおく)

 品物税は英語で excise duty という。

 dutyとは、通常「関税」の意味にで使用される。いわば取引にかけられる税金だ。

 tax は幅広い意味で「税金」であるが、ニュアンスとしては「貢納」に近い。今では duty free も tax free も同じ意味で街なかに表示されているし、消費税は consumption tax と呼ばれる。

 しかし、消費税の原型である品物税 excise duty という呼び名の方が、より消費税の本質をよく表しているように思う。

 

 日経さんとその仲間たちは、関税 duty がスムーズな経済の流れを阻害している、と主張する。

 では、消費税という duty はそのようなことはないのだろうか?

 アダム・スミスは、『国富論』第5篇において、消費に税をかけることを批判している。

 そちらは引用するには長すぎるので、グラスゴー大学における講義からのを掲げておこう。

 

The consumptions of people are not always according to what they possess, but in proportion to their liberality. When taxes are laid upon commodities, their prices must rise, the concurrence of tradesmen must be prevented, an artificial dearth occasioned, less industry excited, and a smaller quantity of goods produced.

 

(民衆の消費活動は財産の多さではなく、気っぷの良さによるものである。税金が日用品にまで及んでなんでも高くなれば、売買の駆け引きは抑えつけられ、買占めが常態となり、工業生産は振るわず、価値創造はしぼんでしまうだろう)(拙訳) 

 

 アダム・スミスは消費税が経済活動を阻害する、としている。

 そして、高額な関税が経済成長を阻害する、と日経さん&お友達の面々は仰っている。

 では、高額な消費税は経済を阻害しないとでもいうのだろうか?

 ここにむき出しになっているダブスタは、日経さんの口にする「自由」が、ごく一部の恥知らずのためのものであって、普遍的なものではないことを表している。

 

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  結局日経さんとそのお仲間たちが好む「グローバリズム」とは、格差の恒常的な拡大とその固定化が目的なのである。

 それを「貧困撲滅のため」などとするのは、詐話の類と呼んでいいだろう。

 

 

グラスゴウ大学講義

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