企業への忠誠心も撤廃することになるだろう
昔、「サラリーマン」といえば、軽侮されても自嘲するしかない存在だった。決して「気楽な家業ときたもんだ」ではなかった。「終身雇用」などというものは、被雇用者に過重な労働を強いる元凶であり、日本独特の悪しき慣習とすら言われていた。
それが今や、「正社員」と名を変え、憧憬の対象とすらされている。時代は変わったものだ。
こうした問題について、日経さんの考える方向では企業側に有利なのは明々白々だ。まあ、日経さんとしては「企業こそが正義」なのだから、それでかまわないのだろう。
本来ならこのような雇用の問題について、お上に決めてもらうのではなく労働者側が組合活動などを通して企業に要求するのが正当である。
しかし、今の日本社会にそのような意識は薄い。
若者はわけもわからず労組を「サヨク」と呼び、被雇用者側に対してのみ「金銭に恬淡である」美徳を押し付ける。
ムラ社会的な「共同体」幻想など、企業側はとっくに捨て去っているにも関わらず、相も変わらず企業への「忠誠心」を求める伝統は廃れていない。
堤清二が西武デパートの社長になったとき、労組がないのに驚いて社長の命令で作らせたという。それでも社員たちに尻込みするものは多く、彼らの父母はクミアイなどは天に唾する悪しき輩、と騒いだそうな。
こうした伝統はまだ「空気」としてたっぷり残っている。
日本人は、組合活動などで正々堂々と権利を主張するのは苦手な人が多い。しかし、その裏でせこせこと情報を集め、上手く立ち回ることは達者だ。これもまた、一種の伝統と言えよう。
日本人にとってのインターネットは、堂々と言論を闘わせる場ではなく、せこせこと情報を集めるためのツールとなっている。昔は口コミによってじわじわ広がっていたことが、今やネットであっという間に広がる。
それが良い事ばかりではないのは承知している。だが、若者たちが「情報を共有する」のが常識の前のことになっていることは、これからの日本の労働環境をじわじわ変えていくことになる、と期待する。もはや、IT音痴の団塊の世代はどんどん退職する時節なのだ。