『永遠の0』という『失敗の本質』
これがビン=ラディンのスローガンの一つだったという。
この世界を震撼させたテロリストの親玉については、あまりに情報が錯綜しすぎていて確かな所はわからない。しかし彼は、太平洋戦争について良く研究していたのではないだろうか。
そして、おそらく、彼だけが「特攻隊」の本質に気づき、それを実行に移すことが゙できたのだ。
それは、「特攻隊こそが純粋なテロリズムである」ということだ。
歴史上、自爆攻撃もしくは過剰な自己犠牲のもとに戦った例は多い。その中で日本の特攻隊がKAMIKAZEの名で持ち出されたのは、そこに明確な「恐怖への欲望」が見出せたからだ。それは、戦いにおける勝ち負けなど関係無しに、ただ相手に恐怖terrorを与えることのみを目的とした、理解しがたい狂気だった。
だいたい特攻隊そのものが、戦術的に非効率的で効果も大して期待できない、ということは、戦時中の大本営ですらわかっていたことだった。(このあたりは軍オタという人たちの方が詳しいだろう)
その愚劣な作戦をあえて行ったのは、アメリカに「恐怖」を与えるためである。理解しがたい狂気を見せつけることで、日本人に対するぬぐいがたい恐れを抱かせること、それが「特攻隊」というものの目的だった。
しかし旧軍はその目的に自覚的であったとは言いがたく、その「欲望」は「日本人として当然」のように語られた。
特攻隊は戦時中のことでもあり、大日本帝国という一つの国家が行ったことでもあったため、その本質ついて人々は、いや日本人は、永く気づくことが出来なかった。
ビン=ラディンはおそらくそのことに気づいていたのではないだろうか。自爆テロは勝利を目的としたものではなく、相手に(アメリカに)理解しがたい恐怖を与えることを目指したものだ。
何のためにそうしなければいけないのかまったくわからない作戦によって、己の命を無駄に投げ出し周囲を巻き込むということで、それは成し遂げられるのだ。
テロリズムを定義することは難しい。
公安調査庁は「テロリズムとは、国家の秘密工作員または国家以外の結社、グループが、その政治目的の遂行上、当事者はもとより当事者以外の周囲の人間に対してもその影響力を及ぼすべく、非戦闘員またはこれに準ずる目標に対して計画的に行われる不法な暴力行使をいう」とする。
優等生の作文という感じで、あまりに穴が多く、役に立たない。少なくとも、自爆テロがどのような文脈で行われるのか、全く見えてこない。
オウム真理教は最低のカルト集団だが、彼らは自爆テロを行わなかった。それは彼らが本気で「勝利」することを企図していたからだ。もし麻原がビン=ラディンや大本営のような狂気に取り付かれていたなら、信者たちはサリンをまき散らしながらその真ん中で、マントラでも唱えつつ息絶えたことだろう。
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あの戦争の『失敗の本質』は、特攻隊という存在に端的に現れていると思う。
日本はなぜ「失敗」したのか?当たりまえだ。最初から成功しようとなんかしていなかったのだ。
戦いの目的はそれ以外の所にあった。それは世界に対して「恐怖」の爪痕を残すということである。
これがテロリズムでなくて何だというのだろう。
今後数十年にわたって、自爆テロの事実はイスラムを悩まし続けるだろう。「アラブの春」が不快指数を増し続け、シリアでわけもわからず数万人が死んだのは、それが原因なのではないかと私は考える。
「恐怖」は、相手だけでなく、自分自身をも蝕むのだ。
『永遠の0』などという本が売れて映画化され、大勢の人が詰めかけているようでは、日本はまたぞろ「失敗」とやらをやらかすことになるだろう。